2000年代のフューチャーポップブームはstrawberry machineが全てだった。
実体としてそこにあったんだか無かったんだかわかんないのですがそれでも「渋谷系」と呼ばれる音楽のジャンルや、そこにカテゴライズされるアーティストたちが90年代に存在しました。
その後、渋谷系が落ち着きをみせ、ミュージックシーンの目立つ部分においては姿を消したあと、インディーズシーンを中心にネオ渋谷系とかフューチャーポップなどと呼ばれるジャンルやアーティストが現れてきて、00年代に盛り上がりを見せたのです。
この時代のはっきりとした始まりとしては主にウサギチャンレコーズというレーベルと、レーベルマスターであるSOCOPOのスズキさんや交流のあるアーティストたちが作り上げたというイメージです。
実際にウサギチャンレコーズが設立された際にリリースされたコンピレーションアルバムにはこの時代を彩った方々がレーベルに所属しているかどうかという点には囚われることなく参加しており、この界隈やその後のミュージックシーンを知ってる者からすれば大変豪華な1枚となっていました。
このあたりを出自としているミュージシャンとしてはエイプリルズ、YMCK、へなちょこ、PSBあたりがメジャーでしょうか。
アーティスト名は知らなくても曲や歌声は知ってる方、凄く多そう。
「ミミッキュの歌」を歌ったへなちょこのYuppaですとか、いきものがかりの「気まぐれロマンティック」のドット絵MVを制作したり、リミックス仕事に呼ばれたりしてる間に、気がついたら今や世界を舞台に活動しているチップチューンバンドになったYMCKですとか。
いわゆる渋谷系のアーティストは様々な番組のBGMとして楽曲が使われていたりしますが、そういうのが00年代の渋谷系の子供世代(渋谷系に影響を受けて音楽やり始めたりしてる世代。ネオ渋谷系・フューチャーポップアーティスト)にも実に多いですね。
やはりキャッチーなんだと思います。
00年代の渋谷系の特色としてはエレクトロサウンドとかわいいを融合させた上でそれぞれに独自のコンセプトや音楽性を持つアーティストたちが中心となっていたことでしょうか。
渋谷系の重要バンドの1組であるPIZZICATO FIVEが細野晴臣に見いだされデビューしており、デビュー当時はバリバリの打ち込みやってた点を踏まえると、渋谷系ははっぴぃえんど(細野晴臣)が始祖であると解釈することも出来ますし、00年代にエレクトロサウンドベースが主流になったのもPCの存在が当たり前になっていき、いわゆる宅録が非常に身近になった点や、デジタルサウンドがTKブーム以降は音楽として当たり前にあるテイストのひとつになったなど要因は色々あるのでしょうが、原点回帰と捉えることも可能です。
この時代はメジャーシーンでいうとTommy February6が渋谷系を最も感じさせるアーティストだったかと思いますが、モロな80年代リバイバルサウンドを自身をキャラクター化・アイコン化してやりきってみせて爆発的に売れたんですよね。
メジャーではじめてDVD付きのシングルをリリースしたのはTommy February6です。
ファーストシングルですね。
そしてアルバムは渋谷系ではよくある収納しづらい特殊パッケージ仕様でした。
音楽とファッションとキャッチーの構造を非常によく理解して、当時では最先端なDVD(映像)というものを使用しながらも、とにかく楽しいポップソングの在り方みたいな部分のフォーマットとして渋谷系という概念や戦略を踏襲したんだろうなぁと思います。
非常に賢い。
で。
この00年代ネオ渋谷系・フューチャーポップブームの終わりなんですけれど、明確ではないにせよ90年代渋谷系の生存者であるROUND TABLEがアニメタイアップ曲をやり始めたり、Dimitri From Parisやクレモンティーヌら海外勢がアニソンに絡みはじめてアキバ系と渋谷系が合流し「アキシブ系」と呼ばれるジャンルが生まれてきたこと。
そして、中田ヤスタカがプロデュースしているPerfumeがニコニコ動画内で注目され楽曲やパフォーマンス、MVだけではなく結成からの歩みやメンバーの人となりといったバックボーンやパーソナルな部分も含めて顧客を掴んでいき、メジャーでリリースした1曲しか新曲が収録されていないファーストフルアルバムが売れたこと。
このあたりの時期が終わりだったのではないかなと思っています。
正直なところ渋谷系界隈ではcapsuleとしてデビューした当時のヤスタカって全然評価されてないどころか叩かれまくっていて、フューチャーポップ全盛期においては特別面白い活躍はしていないというのが僕の観測範囲圏内で見聞きしていた感想なのですが、capsuleの方向性の模索やプロデュース業などのアレコレでメジャーなところまで行ったのはヤスタカだったかーっていうオチというんでしょうか。
ひとつの集落が少しずつ寂れていって残ったものが何だったのかみたいな話ですよね。
で、ですね。
今、振り返ってみれば00年代のネオ渋谷系・フューチャーポップブームの最良の部分ってstrawberry machineだったんじゃないかなと思うわけです。
大体の方はご存じないと思いますが。
僕も作品は知っていますが、実際のところstrawberry machineというアーティストについて多くを知っているわけではないですし。
strawberry machineというアーティストは00年代にデビューした女性アーティストです。
楽曲提供された曲を歌うシンガーであると同時に、自身で楽曲製作を行うシンガーソングライターでもあります。
デビューするところまで持っていったプロデューサー的な共同制作者っぽい方との対談のようなものを読んだことがありますが、メンバーとかグループという位置付けではないように感じました。
ソロプロジェクトという認識で良さそうです。
strawberry machineのどこがどう素晴らしいか。
00年代のネオ渋谷系・フューチャーポップシーンで活躍した名だたる方々の楽曲提供を受け、ゲストヴォーカルとしても様々な方が参加しています。
ふわふわしたヴィスパー気味な愛らしい歌声、キャッチーでキュートな楽曲、チープなピコピコ電子音が鳴り響く浮遊感漂う編曲。
結果的に時代の1番良いところを凝縮して取り込んで、自分らしさもきちんと発揮したアルバムを作れるアーティスト。
このネオ渋谷系・フューチャーポップっていうのもたしかに存在してはいたけれど、結局よくわからないものだったと思っています。
しかしながら、自分が1番音楽に夢中だった時代に1番聞いてたジャンルなんですよね。
そして、2022年になって振り返ってみて何を思うかというと。
色々思うところはあるのですが、結果的にこの時代の最良な部分ってstrawberry machineだったんじゃないかなと。
僕はそういう結論に辿り着きました。
この手のジャンルへの入り口としても、楽曲提供陣も、シンガーソングライターとしても、普遍性や時代性の面でも。
ただただ楽しくて愛らしいキラキラピコピコエレクトロポップス、良いじゃないですか。