永遠はどこに存在するのか‐My Little Loverが描いた永遠の在りか‐

    My Little Lover。
 通称マイラバはずっと凄いです。
 デビューから現在に至るまでシングル曲より良質なアルバム曲が炸裂し続けるアルバムをリリースしていたり、いつもアルバムのラスト曲が名曲だったり、ファーストアルバム「evergreen」がとてつもない名盤だったり、デビュー15周年の際に発表されたakko作詞作曲の「ハーモニー」が名曲にもほどがあったり、デビュー20周年の際にヴォーカルであるakkoのソロプロジェクトとして活動していたマイラバをデビュー当時のプロデューサーであり元夫である小林武史が「My Little Loverで究極のポップアルバムを作りたい」との申し出により再びプロデュースするかたちで製作された「Re:evergreen」が最高だったり、最もセールスの面で勢いがあったデビュー当時にばかり注目が集まることは致し方ないですし、プロデューサーと歌手から始まり関係性がどんどん変化しながらも活動を続けているプライベートな部分が良くも悪くも活動に反映されてしまっていたりもしますが、そのあたりも込みで何気にずっと凄いですし、ぐっとくる良さがマイラバにはあります。
 今回の本題ではないところの話になるので、ここでさらっと言及しておきますが、マイラバはakkoのひとりユニット、ソロプロジェクトになってからが最高なんです。
 小林武史はもちろん凄いミュージシャンですが、My Little Loverにおいてはakkoの歌声、akkoから生み出されるもの、表現してるものが1番凄いのだと痛感します。
 極論、akkoの歌声さえあればマイラバは成立することを教えられました。
 
 さて。
 本題です。
 小林プロデュース期のマイラバはずっと「永遠」についての何かを提示していたといっても過言ではないと思います。
 少年性や幼さの一部分とでも表現すれば良いのでしょうか。
 永遠普遍への思いを感じさせる歌詞、楽曲が目立つんですよ。
 それこそ代表作である「Hello, Again ~昔からある場所~」なんかはその典型ですよね。
 「記憶の中でずっとふたりは生きてゆける」っていうあれです。
 そして、この曲と同じようなテイストを違う方向性から描いたのが「NOW AND THEN ~失われた時を求めて~」です。
 「そして僕は生まれゆく 時の中で悲しさの仕草など忘れてしまうのだろう」ですよ。
 結構なヒット曲なのに影薄いですよね。
 「Hello, again」の影に隠れちゃった感が。
 比較的、地味な上に歌詞が重めだからってのもあると思いますし「Hello, again」と同系統、悪い言い方ですが2番煎じと捉えられている部分もあるかもしれません。
 ただ、この2曲って同じようなテイストのことを描いているんですけれど、切り口や結論が違うところが興味深くて。
 歌詞のテーマとして共通しているのは喪失、そして永遠なんですよ。
 別れを経験したその後の人生、思い、生き方ですよね。
 マイラバやこの2曲がポップソングとして受け取られてヒットしたことを考えると、なかなか尖った曲が万人受けして幅広く親しまれ売れたなぁと思ってしまいます。
 だって「僕はひとりになった」「記憶の中でずっとふたりは生きてゆける」「自分らしく生きることなど何の意味もないような朝焼け」「時の中で悲しさの仕草など忘れてしまうのだろう」ですよ。
 このフレーズだけきちんと目視すると心に刺さりませんか?
 希望と絶望の狭間で揺れ動く心。
 前向きなのか、後ろ向きなのか。
 それで良いのか。
 心に収めて動き出そうとしている直前なのか。
 もう諦観してしまっていて動けないのか。
 大切なあの人はもういないけれど、あの人を思う自分の気持ちはどうすればいい?
 これが2曲に通じるテーマなんですよね。
 別離を扱った曲は色々ありますけれど、どのような相手だったのか、どのような別れだったのかをあえて具体的に描いてはいないことで、歌詞だけを追いかけていくと非常に重い哲学的なものになっちゃっていて、ポップな曲ではあるものの、ポップソングとしてヒットしたことには「よく売れたな」と思ってしまう部分がどうしてもあるのです。
 間違いなく良い曲ですが。
 で。
 この2曲の歌詞を追いかけていくと「Hello, again」では大切なものは記憶の中にあるといったメッセージが読み取れます。
 たとえ離れ離れになってしまっても、共に生きた日々や愛はちゃんと覚えている。
 記憶の中にある。
 対して「NOW AND THEN」においては全ては時間の流れの中にあるというメッセージが読み取れます。
 過去を思い、未来を思い、今を生きる。
 違う人生を思ってしまうことはあっても、過去は変えられない。
 様々な思いを抱きながらこの時間の中で生きていこう。
 同じようなテイストのことを描いてはいますが、記憶という側面から捉えるか、時間という側面から捉えるかで全く違う部分が生まれており、受ける印象も大分違います。
 ここでマイラバのファーストアルバムである「evergreen」のテーマ性についてふれておきたいのですが、このアルバムはひとりの人間の過去・現在・未来を追体験していくような構成になっており「Hello, again」からラスト曲の「evergreen」への流れで「永遠とは人の心の中に存在するもの」という結論が提示される終わり方になってるんですよ。
 過去・現在・未来。
 それらは心の中、記憶の中にあり。
 その心の中にこそ永遠が存在している。
 と、いう結論がここで提示されたあとに「NOW AND THEN」がリリースされ過去・現在・未来はただただ時間という概念である。
 だとしてもその時間の中で自分は生きていて、時間と共に自らの思いは存在しており、その思いが不変であるならそれは永遠である、と提示してくるんですよね。
 二段構え、三段構えで「自分の思いの在りか」を考えさせる曲を様々な切り口で発表しているので唸るしかないです。
 このあとも同系統といって差し支えない自らの思いにまつわる曲をちょくちょく発表していくのですが、デビュー20周年の際に発表された「ターミナル」「re:evergreen」の2曲は改めて凄さを思い知らされましたし、年月が経つっていうことはどういうことなのかを教えてくれるものでしたね。
 「あの日あなたが示したことは自分の強さで生きること」「いつか戻れるのなら夜にあなたを捜してしまう きっとあなたを見つけてしまうでしょう  何もかも変わったとしてもね」「枯れてしまった夢も しぼんでしまった恋も 咲かない花も 沢山あるけど 小さな想いがまたあなたと巡り会えて動き出す」「心のともしび 消さずにゆけたら もし離れてもね いつか会える きっとブーメランみたいに」
 20年の歳月を経た上でのメッセージ。
 変わってしまったもの、変わらなかったもの。
 何もかも変わったとしてもそこに在るものはたしかに在る。
 永遠に示し続けてくれるものがここに在るのです。

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