映画《他人の顔》あらすじ・感想
仕事中の薬品事故により、顔一面見るに堪えないケロイド状へと変化してしまった男。
顔を失われてから、蚕のように包帯でぐるぐる巻きに被い隠すがその不気味な見た目からも世間から疎まれ、日常の全てが変わってしまう。
男と数分話すだけでどっと疲れてしまう職場の上司。
男が来ても顔を見ようともせず挨拶もしない受付嬢。
何より顔を失う以前まで、運命を感じお互いを愛し合っていた筈の妻が、昨日までそこにあった愛をまるで初めから無かったかの様に男を拒絶し避けるようになった。
その怨みと絶望に打ちひしがれた男は、戸籍も名前も何者でもないゴム製で仕立てられた《他人の顔》を使い、まわりの変化に喜びを感じながら失われてしまった妻からの愛を取り戻す為の行動にうつしていく__
人は生まれた時からルッキズムが始まる。
顔が良い人は、愛・信頼・人気・活躍を得ることができるが、顔が悪い人はそうなりたかった訳でもないのに全てが失われ地獄を味わう。
化粧をしても、整形をしても、《他人の顔》を使っても、見た目こそは変わるが、自分をそうさせた不条理な世の中と人に対する歪んだ内面は何も変わっていない。
華々しがった人生と愛される顔があったのにある日突然醜いものへと変わった男が人並外れた感情を持ったことはまさに上記の通りだが、それに対しテレビの前の我々は自分がそうなった訳ではないのであくまで《他人の顔》として観ている。
特に良い例を出すと
" 暴力をふるう父親と育児放棄をする母親の元に生まれた○○容疑者は、幼い頃からまわりにいじめられ、社会人になってからは上司からパワハラを受けクビにされた "
" これに対し__ "
「○○くんは優しくて人思いだったんですけどねー。でもちょっと変わった人で『猫を殺してみたい』とか言っていたので怖かったです。なにかストレスとか溜まってたんじゃないですかー?」
などと、インタビューを受ける人はいつもこの様に、テレビで映し出される自分を良い人だと思わせる為に情けを表現しているが、実際のところ相手の事知っているようで実は何も知らず、特に興味もない《他人の顔》をしているのである。
動物に対し、人は心を持つとされているのだからこそいじめや差別、そして《ルッキズム》などの避けられない負の感情が生まれるのだ。
だからといってその感情を消すべく、DNAを変えたり危険な実験などと倫理観のない事をすれば良いという話ではないが、人として生まれた以上逃れられない。
いくら世間を変えようと努力をしても、今の時代でどうにかなる話ではないと思う。
私は解決の出来ない話をするのが好きだ。
そして
「この難しい問題はどうするんですかね〜」
などと、解決の出来ない話をする自分も結局《他人の顔》なのだ。