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ぴんはげさんのこと

 ここ10年ぐらいだろうか、楽器を抱えた高校生を街でよく見かける。体感的には、女子のほうが多い。漫画を原作に、京都アニメーションが手掛けて大ヒットしたアニメ「けいおん!」(1、2期で2009~2010年)の影響なのかもしれない。潰れそうな軽音楽部を立て直す、女子高生4人組のバンドを描いた傑作だ。アニメのキャラも、現実の女子高生も、細い肩にギターやベースのケースを担いで、颯爽と歩いている。とても格好がいい。

 私が若い頃、「バンドブーム」があった。80年代後半から90年代初めぐらいだろうか。JITTERIN'JINN(ジッタリンジン)やBEGIN、FLYING KIDSなどを輩出したTBSの深夜番組「いかすバンド天国」の放映が1989年から90年。同じ時期、メジャーどころではレベッカやBOØWYが若者の支持を集めていた。レベッカが最初に解散したのは1991年。BOØWYはその4年前だ。とりわけBOØWYは人気の絶頂で解散し、多くのファンが衝撃を受けた。

 「バンドブーム」には、音楽シーンの主要なプレーヤーがバンド形式だった、という意味に加えて、若い世代がこぞって楽器を手に取った、という意味もある。プリンセスプリンセス(最初の解散は1996年)やPERSONZ(パーソンズ)といった女性バンドや女性ボーカルも人気だったから、後者の意味でのバンドブームは、性別を問わなかった。恥を忍んで告白すると、私自身、高校から大学まで、いろんなバンドに参加した。

 高校で楽器に触れるまで、まったく音楽と関りがなかった。ピアノを習っていたわけでも、バイオリンのお稽古に通っていたわけでもなく、4分音符と8分音符の違いさえわからなかった。貯めていたお年玉をはたき、安い楽器を買った。仲間を募り、バンドを組んで、文化祭で演奏した。大学に進んでからも続け、学園祭や、いくつかのライブハウスのステージに立った。誘われればメジャーバンドのコピーもやったし、自分で曲をつくっていた時期もある。コードや楽典の教本を買い、一通りの理論を独学した。

 当時はまだ、インターネットが普及しておらず、レコードをレンタルしたり、FMのランキング番組をエアチェックしたりして、カセットテープに曲を収めた。それをメンバー分ダビングする。基本は耳コピだ。巻き戻してはコードを拾い、また巻き戻してはリフをまねる。いざバンドであわせてみると、誰かの演奏が半音ずれているなんてこともあった。磁気テープは酷使すると、伸びるのだ。それで、微妙にピッチがずれる。YouTubeやSDカードへの録音が当たり前のデジタル世代にとっては、石器時代のような話だろう。でも、ほんの30年ほど前まで、バンド少女や少年たちは、そうやって楽器を練習していたのだ。

 大学4年の春、仲間と最後のライブに出て、それからは一度もステージに立っていない。社会人になり、文字にかかわる仕事で生きていくことにしたからだ。自分に音楽の才能はなかった(文才があるかも怪しいけれど)。当時の仲間のほとんども、音楽で食べていく道を選ばなかった。

 先日、YouTubeを検索していたとき、偶然、「ぴんはげ」さんのチャンネルが引っ掛かった。ぴんはげさんは、若い男性だ。札幌に住む「ベーシストYouTuber」と自己紹介していた。超絶技巧のベースを弾きこなすのに、ちっとも偉ぶることなく、話は洒脱で面白い。動画のテンポもよく、チャンネル登録者は14万人を超えていた。

 数か月前、「ベーシストYouTuberはこうやってお金を稼いでいます」という15分12秒の動画をアップしていた。視聴回数は19万回。見ると、朝起きてから夜更けまで、自分がどんな日常を過ごしているのかを紹介していた。毎日自室で曲をつくり、演奏しながら動画を撮って、編集している。近年、YouTuberは子どもたちのあこがれの職業のようだけど、これを見る限り、毎日がものすごい苦労の積み重ねだ。私には無理だなあ、と思いながら、動画を見続けた。

 最後の数分間、ぴんはげさんはカメラに向かい、自分の来歴を語っていた。北海道の地方から札幌に出てきて、バンドでベースを弾いていた。けれどもなかなか芽が出ず、就職しようと考えた。そのとき、「バンドを諦めたとしても、ベースまで諦めていいのか」と思い、ミュージシャンとして生きていく道を模索したという。たどりついたのが「ベーシストYouTuber」だった。下積み時代はまったく稼げなかったが、2年間、試行錯誤を繰り返し、軌道に乗った、と話していた。「今はSNSがある。ミュージシャンは仕事にできる。夢を追いかけよう」という趣旨のメッセージを送っていた。

 ぴんはげさんと比較するのもおこがましいが、学生時代、ほんの一瞬だけ、音楽で食べていけたら素敵だな、と思ったことがある。当時はSNSなんてなかったから、選択肢はデビューしてレコードを出すことだ。私はあっさり断念した。才能がない。コネもない。何より、覚悟がまったくなかった。いやいや、どれもこれもが言い訳だ。要するに、何の努力も積み重ねず、腹をくくりもできないで、安易な道に逃げたのだ。

 未練がましくずっと捨てられない楽器を握ってみる。昔は弾けたはずのフレーズも、指がもたつき、演奏できない。流行りのポップスを動画サイトで再生し、耳でコードを拾えなくなっていることに愕然とした。「ほら、やっぱり私には才能がなかったのだ」。いまさらそんな言い訳を重ねる自分が、心底格好悪く、軽くめまいがした。

 いまやネット上には無数の才能があふれている。このnoteだって、そんなプラットフォームの一つだ。もちろん、だれもが成功を約束されたわけではないけれど、間違いなく夢への間口は広がっている、と感じる。

 さすがにもう、音楽を生業(なりわい)にする夢を追うには年齢を重ねすぎた(これもやっぱり言い訳だけど、揺るがない現実でもある)。それはそれとして、今、また楽器を弾いてみよう、と考えている。生きていくことと絡まなかった学生時代のバンド活動は、そういや、心の底から楽しかった。

 そう感じさせてくれたぴんはげさんに、とても感謝している。

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