待ち合わせの小さな手紙
「じゃあ、先に帰ります」。そう言って生徒会室を出て行く際、いちばん廊下側の椅子に座った私の手に、そっと紙片を握らせる。足音が聞こえなくなったあたりで、私はトイレに立つ。もちろん、「ふり」だ。小さく折りたたまれた紙を開くと、「駅前の喫茶店」とある。生徒会室に引き返し、上の空でやりかけの作業を済ませ、残っている仲間に「私もそろそろ引きあげる」と宣言する。あまり時間が近いと勘ぐられるし、長時間だと相手を待たせる。そのあんばいが難しい。高校生の頃、私たちはそうやって待ち合わせをした。まるでスパイのようだと、どきどきした。スパイが本当にそんな連絡手段を使うのか、よく知らないのだけれども。
似たバージョンで、靴の中、というのもあった。下駄箱に収まった靴の奥に、やはり紙片を忍ばせる。ただ、これには欠点があった。私たちの高校の下駄箱は、一つ一つに扉がついていないタイプだったのだ。注意深く、上履きや外履きのつま先のほうに押し込むのだけど、昇降口を通りかかった誰かに見つからない、という保証はない。相手の学年やクラスが違えば、そもそも、そんなところをうろうろしていること自体が不自然だ。結局、握手やハイタッチを装った「スパイ方式」がいちばん確実だ、という結論に落ち着いた。
校則で「恋愛禁止」が定められていたわけではないし、あの時代としては極めて「常識的」なつきあい方だったとも思う。にもかかわらず、しばらくおおっぴらにできなかったのは、生徒会室に一度こじれた相手がいたからだ。あまりの黒歴史なので、詳しくは端折るけど、とにかく、つきあい始めてしばらくは、二人で「黙っていよう」と約束した。そのうちバレて、その相手も「ふうん」という程度の反応だったから、今から思えば、思春期の自意識過剰な「スパイごっこ」だった。輪をかけて黒歴史だな。ああ、恥ずかしい。
あの頃は、リアルタイムの通信手段といえば、自宅の黒い固定電話だけだった。かけるのも、かかってくるのも、ハラハラした。この時間でも大丈夫だろうか、相手の家族が出たらどうしよう、長時間話していると親に叱られる、かかってきた電話をきょうだいが受けたら気まずいな……。ためらっているうちに「非常識」な時間になってしまい、ため息をついてその日の電話を諦めたことが何度もある。長電話をとがめられ、親に一方的に切られたこともあった。今から30年前の高校生にとって、「恋人と電話で話す」というのは、それなりのイベントだったのだ。
スマホどころかポケベルさえ普及していなかった。睦まじい会話も、言い争いも、時間がくれば、翌日に持ち越される。いつも、じりじりしながら夜を過ごした。メールやLINEのような伝達手段を、想像すらできなかったので、「どうしようもない」と諦めもできた。振り返って、不便だったなあ、と感じる半面、当時、スマホがあれば、きっと私はぜんぜん机に向かわなかったに違いない、とも思う。いまどきの若い人たちの意志の強さに感心する。
きょう、週刊誌が報じたある企業の社内不倫で、SNSがプチ炎上していた。当事者の片方が、誤って数年分のLINEのやりとりを、流出させてしまったらしい。結構、えぐい内容だ。不倫そのものの是非はさておいて、これがみんなに読まれたら、当事者やその家族は、さぞやキツイだろうなあ、と感じる。とはいえ、もちろん、いまどき「スパイ方式」なんてアナクロニズムが、成り立つはずもない。
もはや恋人の小さな手紙は、一つも残っていない。やっぱりあの頃、電子機器がなかったのは、私にとって幸いだった。その代わり、仕事で否応なくデジタルにふれる現在、あれこれわからなすぎて、四苦八苦しているけれど。