友だちの墓参り
バスを降りて、鎌倉のなだらかな坂をのぼる。街路樹から濡れた夏の緑の匂いがした。古刹(こさつ)の門をくぐり、裏手に続く道をゆく。少し迷って、彼の墓にたどりついた。命日だから、誰か先に来たのだろう。真っ白な百合の花籠が、黒い墓石と鮮やかなコントラストをつくっていた。
どこかから、薄紫の甘い香りが流れてくる。それで、自分が線香を忘れたことに気がついた。いい大人になったのに、慌てて家を飛び出すからだ。ゆるせ。
せめてお供えものでもしようかと考えて、その昔、あんなに一緒の時間を過ごしたのに、彼の好物を思い出せず、苦笑した。煙草を吸っていたのか、どんな酒を飲んでいたのかさえ、記憶がおぼろげだ。まいったなあ、とさらに苦笑いを重ね、墓石の前にひざまずく。いろいろ忘れてしまった。ごめん。これも、ゆるせ。
遠くに雷鳴が聞こえる。一度やんだ雨が再び細く降り出した。傘がなく、ひざまずいて濡れながら、そのまましばらく泣いていた。滑稽なほどの感傷を自覚しているのに、きょうは自嘲の笑みすらこぼれない。やっぱり彼の死は、私の日常のどこかを、深くえぐりとっていた。墓前にきても、それが何であるのか、よくわからない。わからなくて、かすむ目を何度もこすりながら、私はまた、ひどく苛立つ。
ふだんは思い出すことすらほとんどなく、こんな気持ちを欺瞞と指摘されたら、返す言葉もない。それでも、友だちを亡くしたことは、確かに私の世界を変えたのだ。湘南生まれなのに、彼はちょっとおかしなイントネーションで私の名前を呼んでいた。もう二度と、同じようには呼ばれないのだ。そんな事実を噛み締めて、私は小さく泣き続けた。
小高い丘にある墓地から、ぬかるんだ道をくだる。ミンミンゼミがやかましい。境内のあたりで、若いマスク姿のカップルが、ひとつの傘をシェアしていた。彼と最初に出会ったのは、あの二人ぐらいの年齢だった。
よく遊んだ。お互いに理屈っぽくて、ときどき喧嘩した。社会人になり、みんななんだか忙しくて、かつてのようには会わなくなった。それでも仲間と集まれば、青春時代の延長戦のように、くだらぬ話に花を咲かせ、ときにやっぱり、口論した。そういう彼を、得がたい友だちだと感じていた。彼はもう、いないのだ。
連休が終わり、あすからまた、日常が始まる。私はきっと、日々の雑事に追われ、しばらく彼を、忘れてしまうだろう。
ゆるせ。病に倒れたあなたほどではないけれど、私もいろいろ、しんどいのだ。次の夏に、また来るよ。そのときには線香も、お供え物も、忘れない。
雨がやみ、帰りの横須賀線に揺られていると、車窓の向こうに、虹がかかっていた。空高くから、彼が「仕方ねえな。わかったよ」と答えてくれたような気がした。停車駅を知らせる車内の掲示板に目をやって、再び窓の側に向く。虹はどこかに消え、鈍色(にびいろ)の空に、幾筋かの光がさしていた。