731の「ビュー」と113の「スキ」――noteをはじめて感じたこと
noteをはじめて2週間余り。19本を投稿した。うち10本は、自作の古い小説を手直しし、連載したものだ。
ダッシュボードをのぞいてみると、731ビュー、113スキ、と表示されている。これがnote初心者の「相場」からみて、多いのか少ないのか、よくわからない(たぶん、少ないのだろう)。けれども、これまでまったく面識もつながりもなかった方々が、700回以上も私のつたない文章を読んで、100回を超えて評価してくれたことは、間違いない。本当にありがたいなあ、と感じている。
小説を書き上げた25年前、何人かの友だちに原稿を読んでもらった。でも、その後はずっと、机の下でホコリをかぶったままだった。もし、noteに投稿しなければ、きっとこの先、誰かに読んでもらえる機会はなかったはずだ。noteをはじめとした投稿系のプラットホームって、すごいなあ、と改めて思う。
社会人になり、ほとんどすべての期間、雑多な文章を書いて、ご飯を食べさせてもらってきた。書きたいものというよりも、求められるものを必死で書いた。紙やウェブといった違いはあるけれど、自分の文章が人目に触れるのは、既存のメディアを介してだ。そのメディアの指定の位置に、必要とされる断片を、オーダーに従い、はめていく。もちろん、そうした作業は嫌いでないし、制約の中でどれだけ自由に振る舞えるかの試行錯誤も、また楽しい。
noteは今や、月間のアクティブユーザーが6300万人を超える巨大なメディアだ。260万人の会員登録者を抱えている。
noteに書くことを、誰かに指示されたわけではない。書くべきテーマも決められていない。オープンなプラットフォームがあるだけで、何を書くか、書くか書かないかさえも、ぜんぶ自分で判断する(判断できる)。260万人の全員が、まったく同じ立場なのだ。もちろん私も、「既存メディア」の下駄を履かせてもらえない。誰も知らない、素性すらよく分からない、単なる新参者の書き手の一人に過ぎない。
一生懸命文章を紡ぎ、時間があれば、ほかの皆さんの投稿を読む。多くのフォロワーさんがいて、多数のスキを得ている人たちが、たくさんいる。テーマも視点も内容も、バリエーション豊かで興味深く、新鮮だ。改めて、世の中には才能あふれる人が、大勢いるんだなあ、と感じる。
連載後、マガジンにまとめた小説は、初回こそ100近くのビューを得られたものの、2回目、3回目は70台に落ち込んだ。その後は20~30台をうろうろしている。最終回は11と惨敗だ。3回目と4回目の違いは何だろう。読み直しながら、あれこれ考える。ストーリーがなめらかにつながっていないのか、次に引っ張る仕掛けが弱いのか。いまだに答えは見つけられない。ただ、数字は静かに残酷に「お前はここで、読者に見捨てられたのだ」と教えてくれる。とても新鮮な体験だ。
自分の引き出しの少なさや、才能のなさ、読者ニーズのつかめなさに、早くも心が折れそうになっている。書くこと自体はとても楽しい。でも、求められずに書き続けるには、努力と気合と根性も、また必要なのだと知った。みなさん、本当にすごいと思う。
決して大勢とは言えないけれど、それでも読んでくださる方がいる。それを励みに、どれぐらい続けられるかわからないけど、とりあえずは頑張ってみよう。
やっぱり、noteは楽しい。