今日をもって(正確には昨日が正しいが来年度の準備などがあるので今日もみんな働きました)退職した。最後に子どもたちとたくさん触れ合えて良かったと思っている。まだ実感が湧かないだけかもしれないが、寂しさや後悔は微塵もない。幼稚園や保育園で働いたことによって(子どもが子どもでいる時間は有限である)ということに気づいてしまったのだ。我が子との時間の限りがあるということ、自分の親との時間もまたそうだ。時間はみんなに平等に与えられている。しかし、その時間の使い方は個人に委ねられている。
少し前に父親を亡くした。あっという間のことだった。いや、もっとできたことはあったのかもしれない。初めて後悔というものは自分の中に、残るということを知った。初めてどれほど頑張ろうと願おうと叶わない願いがあるということを知った。 悲しみは減らない。姿を変えながら少しずつ顔を出す。時々ふと思い出してしまう。思い出したい、思い出すと悲しい。矛盾した感情と共に父を思う。 人の命は重い?軽い?わからない。けれど一つだけ分かったことは死んだ人には会えない。どんなに映像を見ても声を思い出して
1 私の子育て 今現在の私の子育ては試行錯誤の途中だ。今年度いっぱいの退職もその試行錯誤の一つである。ずっと形を変えながら、保育士という仕事をしてきた。仕事が好きということももちろんあるし、家庭では得ることのできない充実感も感じていた。仕事をしているからこそ家庭でもやっていけると感じていた。 2 少しずつの変化 最初のnote記事でも記したように、私の娘は(脳梁欠損)という病気を持って産まれてきた。妊娠中は「お子さんは自分のことが自分と解らないかもしれない」と言
私の職場では毎年9月頃になると、仕事を来年度継続するか否かについて問う希望用紙が配布される。今年も例外なくその用紙はやってきた。 現在の職場で15年間走り抜けてきた。新卒で就職し、幼稚園の担任からのスタート。やりがいを感じるし、私はこの仕事が好きだった。娘が産まれ、保育園へと異動。息子も産まれてからはパート、時短勤務など形を変えながら働いてきた。一線で働き続ける仲間を羨ましいと感じたこともある。でも「私は私のやれることを」をモットーに働いてきた。 繰り返しになるが、
今日からこのノートにて私の気持ちを届けていきたいと思います。 まずは自己紹介から。37歳 保育士をしています。6歳の娘と4歳の息子がいます。 6歳の娘は、お腹にいるときに「水頭症」の診断を受け、その後「脳室拡大」に診断名が変更。通院をしながら彼女なりのペースで毎日を過ごしています。 このよく言う「彼女なりのペース」を受け入れるまで長くかかりました。みんなそうじゃないかな?「個性が大事」「多様性」という言葉の裏には「普通」があるということ。個性はみんなに迷惑がかからな