『地域のネガティヴをポジティヴに』北海道くしろ地域のローカル・ディガー清水たつやさんインタビュー
北海道東部の中心地・釧路市。人口は約16.5万人。基幹産業の衰退などで年々人口は減少し、かつてデパートなどが立ち並んでいた中心街の北大通(きたおおどおり)は、ビルの空き室やテナント募集の張り紙が増え、シャッターを閉じた建物が並ぶようになりました。そんな寂れゆく景色を視界の片隅で見つめながら、この街の未来を変えようと孤軍奮闘する人がいます。
創刊6年目を迎えたフリーペーパー「FIELD NOTE」の編集長・清水たつやさんは、編集者でありながらイベント開催や子供の教育関連の事業、SDGs、ワーケーションなどにも取り組み、ここから地域の課題を掘り起こしています。
20代の頃はラップ・ミュージックで暮らしを立てていこうと考えていたと言う清水さんのルーツをたどると、FIELD NOTEを作り続ける理由や、釧路への思い、さらには街と人とのかかわりから清水さんが見出す釧路の未来像までがリンクする、とてもDOPEなお話に発展していきました。
HIPHOPカルチャーに浸かった経験が街づくり活動の根っこになっている
ブロンクス=北緯40度42分15秒。
北海道釧路市=北緯42度58分10秒。
「僕の根っこにあるのはやっぱり音楽活動ですね。ラップ・ミュージックです」
HIPHOP発祥の地ブロンクスからほぼ真西へおよそ9900キロ離れた北海道釧路市で、フリーペーパーの編集者をしながらラップ・ミュージックの制作やDJなどを行い、そして釧路の街づくりに奔走する清水たつやさん。
清水さんが釧路の街づくりに注力するのは音楽との関係性も大きな理由の一つだそうです。
「20代の頃は憧れる先輩が釧路にたくさんいて、『地元にいながら東京と同じような音楽活動ができないか?』と、友人とお店を始めたり、イベントの企画などをやっていました。
2000年代前半には、東京の代々木公園で開催されているHIPHOPのイベントなどにも参加し、釧路にイベントで迎えていた様々なゲストとも親交を深め、楽曲に参加したり色々とフックアップしていただいたりもしました。
そういうカルチャーの中にずっといたことが、今の僕がやっている街づくりや観光方面での活動の根っこになっていると思います」
音楽で人が集まらなくなった時、北大通から地元のお店もなくなっていった
「SNSのない時代だったので、自分たちでつくったイベントのチラシを持って地元のお店に配って回ると、店主さんたちもお客さんを連れて遊びに来てくれていたんです。お店の人のカリスマ性もあり、様々なタイプの人が集まる出会いの場となって楽しんでいました。
2000年代は、そうしたコミュニティーが自然発生で生まれていたんですが、2000年代後半にはそれがなくなっていく感じがありました。
インターネットの普及による『買いものの変化』もあったのかなと思います。
ちょうどその頃から北大通のお店がどんどん減っていったような感じもあり、音楽を楽しむ環境や地元のお店の数も減少し、ますます釧路の文化度が下火になっていくような気がしました。
そこで友人たちと一緒に一度フリーペーパーを作ったのが、今のFIELD NOTEにつながっています」
もっと釧路市民は、地元のお店を使ってほしい
「友人と始めたお店も、一度しくじりまして(笑)。東京に出稼ぎに行った過去があるのですが、帰る時にカブ(※)に乗って、東京-釧路を旅をしたことがありました。
そこで印象に残っているのは、その地域に根差した個人店の人や地域の個性が残っている街でした。
フランチャイズのお店が多いような街は、あまり印象に残っていなかったんです。
ところが釧路に帰ってきたら、後者のようなお店が増えていたように感じて、街の個性がどんどん希薄になっていく印象を受けました。
当時の僕は、音楽だけやっていれば幸せだったんです。地元のお店が賑わって街が活性化すれば、またそうしたコミュニティも生みだせるかもしれません。
でも、大型スーパーやネットで物だけが届くような買いものばかりしていると、文化度の高い釧路ならではの楽しみ方ができる環境も失っていくのかなと感じます。
都市型の生活を求めるのも良いですが、それは都市部へ移住して楽しめば良いのかなと。自分が住んでいる街は、自分で決めて暮らしているのだから、釧路で暮らすのであれば地方だからこその『地の利といった暮らしの特権』ってあると思うんです。
この街にしかない個人店の価値や影響力、自然環境といったカルチャー全体が底上げされていかないと本当に個性がない街になってしまうのではないか?と、いつも危惧しています。
僕自身、釧路で発生していたローカルのHIPHOPカルチャーにハマったことによって、たくさんのことを学ばせてもらいました。そうした多様性のあるカルチャーって、地域のお店から生まれているのだとも思います。
そんな課題を解決できないか?といった想いで始めたのが、FIELD NOTEです。
なので端的に言うと、もっとみんなで地元のお店を使おうっていうことですね(笑)」
(※)1950年代からホンダが販売している小型バイク。愛着のわくデザインと独特のシステムが人気で世界中で約2億台を販売しています。
釧路には、取材したお店の数だけ「やりたい」を実現している人たちがいる
誰もが認めるであろう素晴らしい自然環境を有する釧路に暮らしながら、時代と共に「ある変化」が起きていると清水さんは話します。
「釧路の素晴らしいところはやっぱり自然環境ですよね。
小中学校の総合学習の授業に呼ばれて、FIELD NOTEの活動や地域の話をしたりすることもあるんですが、30人クラスの教室でカヌーに乗ったことがある子どもが何人いるか聞いてみたら、3人しかいないこともあって。『これはダメだ』と思いました。
地の利を生かした『ここでしかできないカヌー学習』とかがあれば、郷土愛にもつながり、進学で釧路を離れても経験は残るので『釧路には何もない』なんてことは無くなるのかなと思います。
教育もまちづくりも、人材育成やアップデートができていないのでは?と取材を通じて感じたことを仕事に活かして取り組んでいきたいと思いました」
「取材を通して思うのは、釧路は素晴らしい街だなと改めて感じることです。いろんな人がいて、いろんな営み方が残っている。
個人でやられているお店は、それぞれ誰かに頼まれてやってるんじゃなくて、自分で『こうしたい』って気持ちを貫いてる人たちです。
そう考えると地域でも、まだまだ自分のやりたい暮らし方を実践している人たちが、取材した数だけあるということなので、釧路の中でも400人以上はいるということです。
時代に流されるのではなく、自分が思い描いた暮らし方ができる、そういう人たちがこの街にいるということは、夢がありますよね」
地域のネガティブを、ポジティブに昇華させていくことはできないか
利便性や合理的なことが求められる時代の中でも、若い世代の間ではレコードやカセットテープなどのアナログなものが、新たにcoolだと捉えられることが増えてきました。そんな次世代に対して、清水さんは自分自身の立ち位置をどの様に捉えているのでしょう。
「2011年の3.11のその時に、実は第一子が生まれると言うことが分かったんです。たくさんの人が亡くなった時に、新しく命が生まれると言うことにすごく運命的なものを感じて、妻には「是が非でも産んでいただきたい」とお願いしました(笑)。
子どもが産まれたら自分自身の価値観もすごく変わりました。それと同時に、『子どもたちが大人になったときに、釧路で好きなことができる環境ってあるのかな?』と、ふと頭をよぎったことがありました。
そう考えると釧路の課題は山積みですし、まだまだやれることもたくさんあるなと感じて、自分が出来ることを少しでもやってみたいと思うようになりました」
「人はいつか死ぬので、それまでに与えられている時間の中で、自分がやってみたいと思ったことは何でもやったほうが良いと思うんです。こういう考えもやっぱりHIPHOPカルチャーからインスパイアされている気がします。
HIPHOPが生まれた背景には、人種差別や貧富の差などがあるなかで、個人の尊厳や価値観を貫く強さを芸術性の高い音楽や文化に昇華してきたことがあると思います。結果的にネガティヴなものを、ポジティヴに変えていったんだと認識しています。
僕もそういうところに憧れて惹かれたのだろうし、『じゃあ、自分にも何かできないか?』と触発されて。
そしたら目の前の地域の暮らしこそ、ネガティヴなものに溢れているように感じたんです。なので、そうした地域のネガティヴを少しでもポジティヴなものに昇華できたら良いなと思っています」
素晴らしい街に暮らしているのに、気付けないシビックプライド
地方の時代、ローカルの時代と言われる昨今。釧路に暮らし続けてきた清水さんが思う、釧路再生へのキーワードとはどんな言葉なのでしょうか。
「個人的に気になっていることは、『土地と人との関係性』でしょうか。宮沢賢治の『イーハトーヴ』にインスパイアされているものもあると思います。
釧路に関して言えば縁のある芸術家って、普通の感覚とは乖離している人が多い気がするんです。例えばフィッシャーマンズワーフMOOとか釧路センチュリーキャッスルホテルを設計した毛綱毅曠(もづなきこう)さんとか、アニメーション監督の今敏(こんさとし)さん。佐々木栄松さんも素晴らしい作品をたくさん残されています。
彼らの作品の底に流れているものには『釧路の土地が持つ性質』が関わってるんじゃないかなと。
釧路はいきなり霧が立ち込めて真っ白になって、例えるなら非現実な景色が突然広がる感覚にも似ているし、湿原のスケール感と街の人工物の対比といった釧路の原風景が創作の原点になっているんじゃないかと。
そういう視点で釧路を見た時、釧路って実はかなり魅力的な街だと思うんです。だけど、みんな気付いてないような感じや、自信を持てないみたいな感じもあったりするので面白いですよね。
僕は田舎とか地域とかいろいろな条件がある中で、オリジナルな釧路の価値を昇華して、地域の再生につなげることを具現化していけたらと思っています」
ロマンある街。ロマンしかない街。
ロマンを求めてない人には合わないかもしれない街
最後に今後の清水さんの街づくりへの思いを聞いてみると。
「これからは地域の中の人や地域外から来る人たちをつなげていきたいなと思っています。僕は取材を通してたくさんのお店を知っていますが、お店の人同士では実はあまり繋がっていないことも多いんです。同じ地域の中の人たちや外から来た人たちがつながることで面白い化学反応が起こるんじゃないかなと思っています。
そういうことを含めても、釧路ってすごくロマンのある街ですよ。むしろロマンしかない(笑)。だからロマンを求めていない人にとってはあまり満足できない街かもしれませんね(笑)。
きっとこれからは移住やワーケーションなどで「釧路に自分の意志で来る人たちが増えてくる」と思います。一度は釧路へ来ていただいて、自分にとって合う街なのかどうか見極めてもらいたいです。
それは今釧路に住んでいる人も同じで、釧路に暮らすことを自分で選び取ってもらいたいです。選ぶ過程で、釧路の良さも悪さも実感できて、その上で釧路の価値も見えてくるのかなと思います。たくさんの人に釧路の価値を見つけてもらえたら、きっと自ずと街の再生が始まるのかなと。
FIELD NOTEを通して釧路の魅力あるお店や人の紹介を続けて、またいろんな活動を通して釧路の課題も掘り下げて発信したいです。そして、いつか街の再生の一助になればいいなと思っています」
一度は荒廃したブロンクスが、HIPHOPのカルチャーを獲得したことで再び息を取り戻したように、釧路が街としての個性や価値を取り戻し、人が生き生きと暮らせる街として再生できるように、清水さんは今日もネガティヴなものをポジティヴに昇華するため、街のあちこちで人々の姿を取材し発信し続けます。
■清水たつやさんの1日
10:00 出社 ⇒ メールチェック、sns更新、レスポンス作業など
11:00 現在準備中のクラウドファンディングの作りこみ作業
(お昼休み)
13:00 FIELD NOTE掲載店への撮影&取材
15:00 FIELD NOTE掲載店への撮影&取材
17:00 じもじょきの取材に対応(今回のインタビュー)
18:00 翌日開催の教育関係事業の資料作り
20:00 FIELD NOTE COMMUNITYのzoom会開催
【清水たつやさんプロフィール】
北海道釧路市出身、釧路町在住。言葉と編集と音楽を通して、地域の課題解決に取り組む3児の父。
2015年、「フィールドノート」を開業。フリーペーパー「FIELD NOTE」を創刊し、地域メディアの運営を開始。
2016年、株式会社ユタカコーポレーショングループに所属し、コワーキングスペースHATOBAの運営や企画など担当。2022年、フリーランスのライター・編集者として活動。
釧路町青少年育成協会子ども会 理事|釧路町教育委員会主催のキャリア講座「くしろ町立 人間発電所」企画|道東のSDGsマガジン tomosu 編集長|NoMaps釧路・根室 事務局|一般社団法人日本ワーケーション協会 公認ワーケーションコンシェルジュ(北海道・釧路管内)
2021年2月26日取材
【清水たつやさんの音楽活動】
The Questionlove / Live at HATOBA nishikimachi - YouTube
awendarap "melty bitter irony" MV - YouTube
HUNGER - Canoe feat. Mahya, The?love - YouTube
【詳しくはこちらでチェックしてね】
PROFILE|清水 たつや | Tatsuya Shimizu|note
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