アジェンダセッティングとしてのファクトチェック~「選ぶ」ことの意味
古参のファクトチェッカー/ファクトチェック団体は「ファクトチェックはジャーナリズムである」という見解を掲げて活動しているが、たしかにその通りだと思う。検証対象を選ぶという行為は、議題設定(アジェンダ・セッティング)に他ならないからだ。
真偽不明の情報は、ネットにもリアルにも数限りなく存在する(真偽が明らかなものの方が珍しいくらいだ)。その中から特定の情報を選んで「検証対象」とすることは、それを問題視して世に問う行為でもある。選ぶ側の意図や価値観や問題意識といった主観的要素が入り込むことは避けられない。
ファクトチェックは客観的で中立的であることが重視される。だが、「真偽判定の過程」はともかく、それに先立つ「対象選定の過程」は恣意的にならざるをえない。そしてこの恣意性が、ファクトチェッカーへの風当たりの強さを引き起こしている。
検証対象の選定基準は?
日本でいま活動しているファクトチェック団体は、それぞれ選定方針を公開している。
InFact https://infact.press/about/factcheck-policy/
リトマス https://litmus-factcheck.jp/policy/
日本ファクトチェックセンター(JFC)
https://drive.google.com/file/d/1H9TCU01zuNh8sHpYL81FJ8_pOUd1WsoH/view?ref=factcheckcenter.jp
これらの団体のガイドラインは、国際ファクトチェック・ネットワーク(IFCN)の原則規定を参考にしているため、大筋で一致している。主な選定ポイントは以下のとおり。
①②はいいとして、問題なのは③である。「社会に影響を与える可能性がある」ことを、どうやって判断するのだろうか? これについては客観的な基準は存在しない。実務上は、時流に即したテーマであるとか、有名人やインフルエンサーの投稿だとか、SNSでどの程度拡散されたかといった点を「総合的に判断」して、検証対象を選んでいるようだ。
AではなくBを選ぶ理由を知りたい
検証対象の選定はファクトチェックの第一歩であり、検証の方向性を決定づけるものである。
なぜその言説を検証するのか?という点について、検証する側には妥当な理由があるのだろう。とはいえ、検証結果だけを見せられる側からすれば、唐突な印象が否めない。何を根拠に、どのように考えてその情報を選んだのかという過程が見えないからだ。
検証記事が公開されるたびに、なぜその情報をファクトチェックの対象に選ぶのか? どうして別の情報を扱わないのか?という声が聞かれる。ファクトチェッカーの側で恣意的な選び方をしているのではないか?という疑念が生じているのである。
わざわざ検証するほどの価値がなさそうな「暇ネタ」を取り扱うかと思えば、世間を騒がせている一大フェイクニュースを見過ごす。そういうアンバランスさが気になることもしばしばある。
最近では、突拍子もないフェイク情報に初めて接するのが、ファクトチェック団体の検証記事やマスメディアの報道であることも多い。偽・誤情報の拡散を抑止するどころか、拡散を助長しているとも言える。特に、NHKをはじめとする既存メディアが、不用意に「ファクトチェック」する弊害は大きい。ネットの世界のトピックをマスに流すことで、ネットを利用しない/利用が少ない層にまで偽・誤情報を広めることになるからだ。
ファクトチェック団体やメディアによる真偽検証活動によって、「偽・誤情報」に世間の耳目が集まり、「偽・誤情報問題」が危険視され、「偽・誤情報対策」が取り沙汰される。これがアジェンダセッティングではなくて、何だというのだろう?(政府の「対策」には巨額の予算がつく。それが民間に流れることを考えると、これらのアジェンダセッティングも利権のために仕組まれたものだ、といううがった見方ができなくもない)
ネットの世界に数限りなく存在する偽情報・誤情報からどのようにして検証対象を選ぶのか。その基準とプロセスが曖昧なので、見る者に不可解な印象を与えてしまう。どのファクトチェック団体も検証過程の透明性を重視し、それらのプロセスを公開しているが、それ以前の段階である「検証対象の言説を選定する際の意思決定のプロセス」については、詳細かつ明快な説明がなされることがほとんどない。まさにブラックボックスである。
先述したように、日本のファクトチェック団体による検証対象の選定基準には、科学的根拠や数値基準が存在しない。客観的な基準がない中で何を根拠として選ぶかというのは、かなりの難問である。説得力のある選び方ができなければ、どれほど精緻な検証をおこなっても、世間の人々にそっぽを向かれてしまう。
舞台裏を見せるということ
「これは誤りである」とか「不正確である」とかいった判定結果だけ見せられても、ピンとこない人は多いだろう。ファクトチェックする側は事実の抽出とその真偽にこだわるが、見る側はそうではない。真か偽かという問題以前に、どういういきさつで、どんな理由があって、どのように考えてその情報を取り上げたのか、という背景が気になるのだ。それなのに、肝心のその部分が語られないままなので、不信感がぬぐえない。
検証対象を選定した理由を説明すること、ファクトチェックにはそれが求められている。説明したからといって不信や反発を払拭することはできないが、フェアな姿勢を示すことはできる。どういう見地からそれを選んだのか、どんな問題意識に立脚しているのか、その情報がはらむ危険性と社会的影響をどのように評価しているのか……私はそういうことが知りたい。それらを抜きにしていきなり検証結果だけを見せられても、説得力に乏しいのである。
既存メディアの世界でも、どのネタをなぜ選ぶのかというアジェンダ・セッティングの舞台裏が語られることは、今までほとんどなかった。だが、透明性と説明責任が問われる時代になり、メディア不信の高まりもあって、記事が書かれた背景や書き手の考えを伝える試みが始まっている。
既存メディアですらそうなのだから、透明性を旨とするファクトチェック団体に同じことができないはずはない。対象選定過程の透明性を高めることで、客観性や中立性が損なわれることを恐れているのだろうか。
政府が進めている偽情報・誤情報対策には、ファクトチェックの推進が組み込まれている。検閲や言論統制の手段としてファクトチェックが利用される懸念もあり、ファクトチェック団体への風当たりが今後いっそう強まるかもしれない。だとしたらなおさら、「透明性」「説明責任」に力を入れる必要があるだろう。
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