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市民社会とファクトチェック~権力監視が民主主義を守る

ファクトチェックが「偽・誤情報対策」でどこまで効果を発揮できるのか?という点はともかく、権力監視の機能を果たす可能性には、私は一縷の望みをかけています。

ファクトチェック団体・業界が市民の側につくか、権力側につくかで、社会のありようが変わってくるはず。民主主義の行く末を左右すると言っても、過言ではありません。


パターンⒶ「権力監視」の役割を担い、市民の側に立つ

言説の検証を通じて、国や行政やマスコミが隠しておきたい ”不都合な真実” を暴くことになるかもしれない。それらの機関に透明性が欠けていて、説明責任を果たす気が無い場合、ファクトチェックによる検証は透明性の確保に大いに寄与するでしょう。
→いまやマスメディアは権力監視の機能を失いつつあるので、「ファクトチェックはジャーナリズムである」と明言しているファクトチェック団体の働きに期待したい。

パターンⒷ「言論統制」のツールとして、国家権力に利用される

この場合、市民社会にけっこうなダメージがもたらされるのではないでしょうか。ファクトチェックにデマの拡散を抑止する効果は薄いかもしれませんが、国や行政やマスコミの公式見解とは異なる意見を表明しにくくする ”萎縮効果" はありそうです。
→某ファクトチェック団体は検証記事の結びに、受信者ではなく発信者に注意を促していると思われる文言を入れることがあります。情報発信を抑制する効果を狙っているのでしょう。

パターンⒶを期待したいところだけど、このままいくとパターンⒷになるのは目に見えている。「偽・誤情報対策」の一環と見なされているファクトチェックが、言論統制の道具とならずにすむにはどうしたらいいか。市民社会と民主主義を守る「権力監視」の機能を、どうやって果たすのか。真剣に考えないとまずい段階にきています。

私はごく普通の一般人であり、なおかつ大手マスコミに虚偽・捏造報道をされた被害者です。なので、政府が権力をかさにきて押し付けてくる嘘や欺瞞はとても気になる。マスメディアがそれを暴くどころか加担するのなら、ファクトチェック団体が代わりにそういう嘘を暴いてほしい。権力への対抗手段が失われた社会で最も割りを食うのは、わたしたち一般の市民ですから。

もちろん、”官製ファクトチェック” には断固反対です。

※このnoteは、前回の「ホントは怖いファクトチェック~事実検証から言論統制へ、そして戦争が始まる」の補足です。


追記:最近、「ファクトチェック」という言葉が独り歩きしている感がありますね。ファクトチェックとは何か、という基本的な情報が普及しないまま、言葉だけが広まっている印象を受けます。
政治家や官僚の人たちが、ファクトチェックを過大評価してるふしもあり……
ファクトチェックの誤用や悪用がされないといいのですが。

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