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2024年度下半期の報告(番外編)

家を2週間空けた。

初めて中南米の国へ渡航する、というものを経験することとなり、家を2週間空けた。妻と娘は2人きりの生活を送っているわけだが、ビデオ電話する度にチラチラと家の様子が見えて、「ごめんね、、1人減ると大変だよね…。」と心が痛かった。帰ったら休みながら家の片付けをしようと思う。妻も一人前のキャリアを築きたいと思っているし、自分だってそう。子供も未来を背負って立つ立派な「人間」に育ってほしい。まぁーバランスとは難しいな、、とつくづく感じながら、空港でこの記事を書いている。

今回、番外編を書こうと思った動機。

私は「ウチナーンチュ」である。沖縄で生まれ育ち、それなりに文化に親しみ、ウチナーンチュである誇りをもって生きてきた。そんな私は今の仕事場で働き始めて、もう一つの「オキナワ」があることを知った。今回はそこを尋ねることになった。
これがその、オキナワの入口。さて、どこの国か分かりましたか??

「オキナワ」の入口

昔の沖縄(または「琉球王国」というべきか)は世界に開かれた島だったらしい。そして、色々な事情が絡んではいるものの、多くの人が世界に移住していった。先代のウチナーンチュはそこでまず、生き延びて、その後沖縄の文化を継承するように努めた。そんな過去を持つ世界のウチナーンチュに会うことになった。

普通に生きていて、感動することって・・・

一番最近でいつ感動しただろうか。人にもよると思うが、普通の日本人なら命の有難さに感謝することさえ忘れかける。のほほんとした日々を送っていると、感動することが少ない or 無いと思う。

しかし、誰でも必ず感動するポイントは持っていると思う。または「救われた~」と感じるポイントというのか、「これの為に生きている」と思うことなのか。分からないが、それらしきものは存在すると思っており、私の場合は「ウチナーンチュであること」がその一つである。

どうやって「ウチナーンチュであること」を感じるわけ?

私の場合は音楽や芸能を中心とした「文化」だった。三線の音や琉球音楽の独特な歌、遠くから聞こえるエイサーの太鼓の音、舞踊家の表情や見せ方、クセのある話し方と笑いのつぼ、いつもその音や言葉を聞くと、「チムドンドン」する訳である。

でもそれがなぜ、私の感動ポイントとなったのか?それは、遠く中南米で、私と同じタイミング、感性で「チムドンドン」している人が山程いることを知ったからである。これはとりあえず、備忘録的に感じていることを残しつつ、共感してくれる方がいるかもしれないのでnoteに書いておこうと思った、という訳だ。


沖縄のイベントでは必ずと言っていいほど行われる「幕開け」。
かぎやで風等が演奏されて始まったイベント。
沖縄以外のある国で、こんなことが行われているなんて衝撃的過ぎる。

要は、通じ合うこと。

詰まるところ、「共感」ということを身をもって感じたわけである。よくビジネスやコーチングなどで言われている「相手の立場に立つこと」は通常、非常に難しいことである。なぜなら自分は「その人」ではないし、その人の体験や感性をそっくりそのまま感じることは自分も人間である以上、不可能だからだ。(自分には自分の感覚がある)
しかし、今回は例外である。「共感する・共感される」ということを肌で感じた。少し違う言い方になると、「琴線に触れる」とも言うかもしれない。
で、何する?

別に何もする必要はない。

感動したからと言って、別に何かする必要はないと思っている。でも、「これだけは」という強いこだわりは、この記事はあくまでも番外編であることから分かるように、「自分の道を進むこと」をやめないというのが重要だと思う。自分はウチナーンチュである!と宣言する以上、世界と島にいるウチナーンチュに恩返しできないといけない。そのために、まずは自分を肥やすことを忘れないで、継続した行動したいと感じている。

それでは、継続して頑張ります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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