誰も(岡田斗司夫も)気づかなかった2049
※極めて個人的感想で、併せて極めてこじつけっぽくもあるから「間違ってる!」って言わないでね。間違っていても、平気です。
ブレードランナー2049を2年ぶりくらいに見ました。
最近YouTubeでお気に入りの(そろそろプレミアム会員になろうかな?ガンダム全部見たいし)岡田斗司夫解説「岡田斗司夫ゼミ#203(2017.11)ブレードランナー2049がやっぱりつまらなかったので理由と対策を考えてみるネタバレ有りSPと月1一問一答もあるよ!」を見たからです。
岡田斗司夫さんの解説はおそらく今の僕のアンテナとチューニングがものすごくあっていて、何もかもが腑に落ちます(なので会員になろうかと)。
そうして、ようやっと(これ「ようやく」と言わないのが岡田さんの口癖。あと右斜め(画面で見ると左斜め)上を見て「なんだろうな」っていうのも口癖)数年ぶり3回目くらいのブレードランナー2049を見たのでした。
で、見ていて、あれ?なんだっけこれ?って思いました。既視感と言っても前に2回見たからではないです。もちろん最初のブレードランナーでもなく、タルコフスキーでもないです。
「あ!星の王子さまだ!」
僕の中の答えから書きました。星の王子さまです。Kの物語は時系列こそ違えど、王子さまと同じようにいろんな大人に出会いKも成長していく。
ところでここで戻ってサンティグジュペリの「星の王子さま」を読んでみると、あることに気づきました。
王子さまはその小さな星にいた思い出しか話さない。わがままなバラの話や夕日の話、朝ご飯を温めるのに便利な活火山の話。
けれども王子さまがなぜ一人なのか?一人で生活できる術は知っているのに、誰がそれを教えてくれたのか?王様(エピソードで出てくる他の星の王ではなく)は?お妃さまは?そんなことは全く語らない。
王子さまのその姿はまさにオフワールドの「レプリカント」なのではないかと。
そう考えると「星の王子さま」本編の中で明かされない、王子さまの星を去った理由(バラとのいざこざはただのきっかけだったのではないか?とも思える)が「自分がなぜあの小さな星にいたのか?」を探す旅であったのではないかと思えてきます。「バラや夕日以前の」自らの記憶を王子さまは探していたのではないかと。
Kと王子さまの「時系列こそ違えど」と書いたのは、Kが最初に出会うのが「点灯夫」だからです。
Kがサッパーの元をもう一度訪ねるのは、「自分の意志で人のために何かを行うこと」そんなことができるのかを確かめたいと思ったからだと。
ジョシ警部補やLAの街は、Kから見た「不思議な大人」なのだと思います。外界を冷ややかに、どこか一歩引いて見えるのはレプリカントという「こども」だからと思うと妙に納得するところもあるのです。
さて、ところで「星の王子さま」と「ブレードランナー2049」の一つだけ違うところは、Kがバラとしての存在である「ジョイ」をその「自分探し」の旅に連れ出していることです。まあジョイはバラのように猜疑心と虚栄を持ち合わせていないので全く違うとも言われかねないですけれども。
ホログラムの巨大なジョイ広告にあった時、Kの心にはきっとそういう言葉が鳴り響いていたのではないかと。
そうしてKは砂漠で「ぼく」である飛行士、デッカードと出逢うのです。
ブレードランナーのデッカードと違って、ブレードランナー2049のKがモノローグを語らないのは、自分のことを語らない、質問に答えない王子さまによく似ています。成長していく姿が曖昧に描かれていることも。
ウォレス社代表・ウォレスが「王様」であることは明白なので、そのものずばりの引用もできるのだけど分かり易すぎるのでもう良いことにします。
ウォレスの代理人として登場するラヴは、キツネとヘビの二役。あの水際でのキスは「飼い慣らされていない」キツネの悲しさと、Kという特別な存在への心の表れなんだと思います。
アナ・ステリン博士。デッカードとレイチェルの娘。
その希望や救いこそ、砂漠の井戸なんだと思うのです。
デッカードは生き残り希望の元に寄り添う。Kはジョイのいる空に帰ろうとする。
2049はそうやって結ばれます。
起承転結の「起」と「結」がぼんやりした映画だから、賛否は分かれたんだろうけれども、やはり僕は好きな映画です。
飛行士も、自分に聞いてみてほしい、としか言えない、そういう最後だったからです。
最後に、辻褄を合わせつつ、王子さまの最初の言葉を。