少し長くなります。【2015年08月24日】
ナショナリズムとか、国民性とか、アイデンティティとか、そんなの僕はちょっと苦手なんですけど、どうしても逃れられないものがあるって話です。
もうねやっぱり、「サクラ」とか「波」とか「扇子」とか、何やってんだって思いまして。(まあ、波は外国人だから仕方ないのか?でもさ、何やってんだと思う。)
なんだその「和風」
自分の話をするけどね、ロココバロックウルトラバロックアールヌーボーアールデコ、その美しい唐草に憧れた。ギマールもジュジョールも、その線をうつした。でもさ、ある時気づいたんです。どうしようもなく逃れられないものをね。フランス人にも、スペイン人にも、僕はなれない。なんか違うんです。
大昔のことで、なぜか忘れ去られちゃっているのですが、三枝成彰がモーツアルトの未完の曲を補筆をしたという話がありました。それはヨーロッパの人たちにはどこか日本的に聞こえたと。(小沢征爾の評価もその東洋的な要素が含まれていたと思うのだけどそれについてはもっと大昔のなんとなくの聞きかじりなので正しい情報ではないかもしれない)
何が言いたいかといえば、西洋の文化をもって、西洋の様式をキッチリ学んで、そのフィールドで表現してもどうしても「日本的」という要素からは逃げられないのではないかということ。
それは安藤建築にしてみてもそう、水平垂直で20世紀の世界的な工業資材であるコンクリートやガラスを用いても、どうしても日本的だし、伊東豊雄や隈研吾やSANNAだってそれはまったく同じように日本的に僕には見えるんです。
どこまで西洋的な様式でどこまで研ぎすましてもこの島国の呪縛からは逃れられない。僕はそう感じています。ザハとは根が違うんです。どうしてもザハは日本人には書けないんです。僕が自分でつくる唐草に、どうしても日本を感じてしまうのと同じようにね、「呪縛」なんですよこの島国の。
さてところで
ちょっと話を変えますが、日経デザインの下川副編集長が経産省主催のセミナーで福岡に来まして、その講演を聞きにいったことがあります。「副」編集長だったんですから、そりゃあもう十数年前のお話。ミラノサローネで日本ブースがあるから出店しようよ、という経産省の思惑のセミナーだったのですが、下川副編集長が語ったことはその思惑とは少しずれて、とても興味深かった。
「安易な和風は評価されません」と、下川さんはハッキリ言った。
今考えるとすごい。龍安寺風なシンクとかウルシ風のテーブルトップとか、「失敗事例」をスライドで見せてくれたんですから。もしかしたら(当時は人目に届きにくかったのかな)地方だからできたプレゼンテーションかもしれない。でもそれが、当時の僕にガツンときたんです。
「サクラ」や「波」や「扇子」に、僕はどうしてもその時のスライドと下川副編集長の言葉を思い出す。
「サクラ」や「波」や「扇子」はステレオタイプニッポンの「記号」です。50年代(もっと前かな?)からの日本の印象、「ハラキリゲイシャフジヤマ」で「ハリウッドの日本」とまったく同じで、そんなのが半世紀以上経ってもまだ変わらないのかと思うし、それどころか当の日本人までもが(波は違うけど)なんでわざわざそれに擦り寄るのかって思う。
でもね、当然のことだけど、その講演を聞いた十数年前も、安藤も伊東も、武満も小澤も、キッチリ欧州で評価されていた。
世界基準で本当に世界で闘ってきた人たちがいる。
「和風」という飛び道具、ステレオタイプニッポンを払拭するためにね。
(本人がどう思っているかは知らないが)
でもその中で、ひた隠しても出てしまうその「呪縛」が結果的に世界に「日本」を感じさせ、それが世界からの賞讃へと繋がったんです。
島国の民としての「呪縛」と書いたけれども、それは裏を返せば「土台」なのかもしれないです。その「土台」が「東洋」なのか「日本」なのか「九州」なのか「小倉」なのか、そこまでのネイティブ、「土」「着」の要素はわからないのだけれども、どうしても残ってしまうものというか。
それを自身のなかでどうコントロール出来るか。
僕はどうしても「サクラ」や「波」や「扇子」のステレオタイプわかりやすさが嫌です。海外のパーティーに普段は着ない和服着て参加する日本人くらい嫌です。
タキシード着てても渡辺謙は渡辺謙だし、西洋に倣いながらもそのたたずまいに日本人を感じさせたら、それで良いんじゃないかと思うんです。
わかりやすいニッポンジンである必要はないですよ。
だって日本人なんですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下川編集長の訃報を聞き、昔のブログから掘り出しました。
当時、このブログでも十数年前ですから今からだと20年以上前の話です。
後輩のおじさんが九州経済産業局の局長で、すごく良くしてくれていて、「おおの君、デザインの仕事をしているなら興味あるんじゃない?」というお誘いに、「えー!日経デザイン!!」「ぜひ行きます!!」って言って参加したセミナーでした。
僕以外はスーツ着たおじさんばかりでしたね。
下川さんの話に九州からミラノサローネに出展する実績を作りたい経産局の方は皆苦い顔をしていたけれども、僕はガツーンと打ちのめされました。
ちなみに文中何度も出てくる「「サクラ」や「波」や「扇子」」はサノケンオリンピックエンブレム問題があった時に書いた文章だからです。
拾い物の当時の「サクラ」や「波」や「扇子」エンブレムを載せようかと思ったけど、あまりの悍ましさにやめました・・・・
まあお会いしたのは2回くらいで、そこまでたくさんお話ができたわけではないのですが、僕のデザインに対する思考にガッツリと方向づけを下さったんだなあと今でも思うわけです。
ありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?