細い糸で繋がった人
心の底から愛した人がいた。
あれから5年経ったけれど、私はあの時を超える感情に出会っていない。
好きや愛してると言う言葉では語り尽くせないほどの、感謝がそこにはある。
5年前、それは椎間板ヘルニアの手術をしたばかりの頃だった。
二ヶ月後に再発という最悪な展開に全てに絶望していた。
その頃だった。
Skypeに出会ったのは。
更にSkype掲示板なるものに出会ったのだった。
そこでは夜な夜な通話したい人もの同士が掲示板に書き込み、そこに連絡をするというものだった。
友達もおらず、眠れぬ日々、鬱とヘルニアの不安で押し潰されそうな毎日、夜が長くて仕方がなかった。
藁にもすがる思いで、誰かと繋がっていたかった私は、掲示板に書き込んだ。
そういう掲示板、いざやりとりを取り始めても変態も多々いる。
またか、と、通話を切る。
そして他の人と話してみる。そんなことを繰り返していた日々で出会ったのが私の愛する人だった。
彼は私にほとんど素性を明かすことがなかった。
それなのに私はどんどんと惹かれていった。
電話越しで話すだけ、何処の馬の骨かもわからない人間の話を毎日聞いてくれた。
何も教えてくれない彼は名前すら教えてくれなかった。
なので私は「お兄ちゃん」と呼んでいた。憧れのお兄ちゃんができたようで嬉しくてたまらなかった。
夜中になると、ソワソワして私はベッドで待ち侘びる。
早ければ0時過ぎ、大抵は丑三つ時にSkypeは鳴った。
「かけていいかー?」
「いいよ!」
メッセージをしてから着信が入る。
ニヤケが止まらない。それくらい毎日楽しみで仕方なかった。
不安で潰れそうな時も、大丈夫と励ましてくれて、直接は会えないけれどこうして俺は会いにきてるだろ?と、優しく毎日支えてくれた。
事実彼は遠くに住んでいるため会うことは叶わなかった。
代わりにビデオ通話をし続けた。私だけがオンカメだが。
「顔見せて」と言われ、恥ずかしいがカメラをオンにする。すると彼はいつも「かわいい」と私を褒めてくれた。
自己肯定感の低い私はすぐに「かわいくないよ」と否定するが「かわいいんだよ」と必ずもう一度言ってくれた。
私は拗らせ女子だったため、25歳当時まで男性とお付き合いしたことがなかった。だから、毎日が嬉しくて仕方がなかった。
塞ぎ込んでいると必ず「いい子いい子」としてくれて、「ちゅ」とキスをしてくれた。そのリップ音だけでウブな私は幸せだった。
甘い声は声フェチの私にはドストライクだった。
その声で大好きだよ、と名前を囁かれては夜な夜なニヤけて蕩けそうになっていた。
『あなたに愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
夢で会えるだけでよかったのに』
毎日優しくされてくうちに、私は本当に好きになっていった。病気のことも全て受け止め大丈夫と支え続けてくれて、かわいいと褒められ続け、嫌いになる理由がなかった。
けれど、私は彼の連絡先を知らない。Skypeしか知らないのだ。
何かあったら困るし他の連絡先教えて欲しいと尋ねた。
LINEは?と聞くと、ガラケーだからやってない、と言われた。嘘かほんとかはわからない。けれど信じるしかなかった。
アドレスも結局教えてもらえなかった。
繋がってるのはSkypeという細い糸だけだった。
そして彼は次第に忙しくなり、連絡が来ない日が増えてきた。
「仕事が立て込んでるから、ごめんな、遅くなるから寝てていいからね」
と言われた。けれど寝れなくて、不安で起きてる日も何度もあった。
朝が近い頃、彼が「もう寝てるかな?」と連絡してきたときもすかさず「起きてる!」と返信をし「寝なさい」と怒られた日もあった。
彼と話せるのなら夜更かしくらいなんてことはなかった。
日に日に連絡は来なくなった。
彼は職場で失態を犯したとだけ告げてきた。そのためもう話せないと。
たまーにメッセージ飛ばすくらいはできるかも知らないけれどと。
彼の詳細を知らない私には何もわからなかった。
でも受け入れることしかできなかった。
私は彼女でも何でもないのだから。
それからはつらい毎日だった。
誰にも褒めてもらえず認めてもらえず、話す相手もおらず、自己肯定感は下がる一方で、夜は寂しくて仕方がなく不安で何度も泣いていた。
腰は痛いし鬱はぐるぐると渦巻くし、悪循環の日々だった。
繋がったままのSkypeチャットページに何度も
「寂しいよ」
「会いたいよ」
「だいすきだよ」
と打ち続けた。
返信が返ってくることはなかった。
わかってはいたけれど。
そしてついに恐れていた日が起きた。
Skypeのパスワードがわからずアカウントが消えてしまったのだ。
これで本当に、私は彼と連絡を取ることができなくなった。
絶望した。
何故パスワードをメモしておかなかったのかと。
どれだけ頭の中を巡らせても思い出せない。
一方的に電話番号とメールだけは送りつけたことがある。
しかし鳴ったことはない。
きっとこれからも鳴ることはないのだろう。
『涙が悲しみを溶かして溢れるものだとしたら
その雫ももう一度飲み干してしまいたい』
いいように捉えるとするならば、彼を忘れてゼロからのスタートを切るということ。
しかしそんなこと出来なかった。
彼がいなければ私は確実にあの頃すでにもっとダメになっていたからだ。
そんな簡単に忘れたり消したりできる存在ではないのだ。
かと言って思い出として胸の内にしまうのはあまりにもつらすぎる。残酷だ。
彼はとんでも無く優しくてとんでも無く罪深い人だ。
優しさとは時に凶器なのだ。