東京日記5 西船橋駅の蕎麦屋
千葉日報を買うだけで十分だったのだが、もう少し西船橋まで来た証が欲しかった。構内を歩いていると蕎麦屋があったので入ることにした。朝食を抜いているので十時過ぎには腹が減る。
冷たいのは蕎麦、温かいのはうどんが好きだ。電車の待ちの時間でささっと口にするなら蕎麦のほうがいい。出汁が熱いと火傷してしまう。これまで何度となく火傷している。
先日、大丸京都店のレストラン街にオープンした蕎麦屋のざる蕎麦が美味かったので、蕎麦の美味さが脳裏に残っていたこともあり、ざる蕎麦を食べることにした。ざる蕎麦の並盛りは大人の食欲を侮りがちであることを経験上知っているので大盛りにした。「ざる二枚」とオーダーを通された。
カウンターの真ん中の席に座るとすぐに別の客が入ってきて、店員が「ざる二枚」とオーダーを通す。あの客がどういう客なのかはわからないのに同じものを注文していることに安心する。この店で「ざる二枚」を注文するのはおかしなことではないのだ、という安心感。あの客も私と同じく千葉日報を買うためだけに初めて西船橋にやってきたのかもしれないのに、自分以外の客は全員常連であるかのように錯覚してしまう。
大丸の蕎麦屋のクオリティは求めていない。わさびを全部溶かした蕎麦つゆに大量の蕎麦を一気に浸し、べちょべちょにしたそれをズルズルと音速で喉の奥へとかきこむ。蕎麦というのはどこか上品さを漂わせる食い物であるが、あらん限りの下品さで流し込む背徳感が堪らない。
ズルズルズルズル。私のズルズルとさっき「ざる二枚」を注文した客のズルズルが今一つになりグルーブを作り出す。バンドやろうぜ、と声を掛けそうになる。ついつい声を掛けざるを得ないのが、かけ蕎麦であり、ざる蕎麦なのだ。
店員同士が何やら世間話に興じているのが聞こえてきたが内容は耳に入ってこず、語尾の「だよね」「だもんね」ばかり気になった私は関西人。
続く
※続かないかもしれない