短編小説『道』
大晦日。実家にいても何もすることがないうえ、母上が次から次へとオレに食料をあてがってくる。あんた、えらい太ったもんやなと絶句するくせに食卓には師走の錦市場の人混みのような具合に所狭しと料理が並ぶ。白菜の漬物、沢庵、焼き魚、味噌汁、里芋とイカを煮たもの、玉子焼き、黒豆、たこぶつ、ぶり照り、フォアグラ、キャビア、大トロ中トロ、トッポギ、ピロシキ、ラーメン、餃子、食べるたびにわんこそば形式に卓上が埋められる。母上は我が子にそれらを奉仕することが生きがいになっており、無碍にするわけにもいかず、食べ続けるしかいかない。オレはヘンゼルで母上が魔女なのではないか。このままでは満腹死してしまいかねず、たまらずオレは外出することにした。オレの後ろ姿を見た母上は「えらい太ったもんやな」とささやいた。
あまりに太った太ったと言われたものだからオレは最寄駅まで歩くことにした。最寄駅といっても歩けば2時間ほどかかるうえ、その道程はまっすぐアスファルトの道が続くのみで右も左も田んぼしかないから退屈極まりない。自然、思考の沼に陥ることとなり、人生を省みる機会となる。父上が亡くなってからもう3年近くになる。父上はコロナを知らずに死んだ。それはそれでよかったのかもしれない。あの父上がマスク生活を余儀なくされて耐えられはしなかっただろう。時代に取り残されたおじいだった。路上喫煙は当たり前、レストランの接客をする女性のことは「ねえちゃん」と呼んだ。大学を卒業させた子が就職もせずバンドをやっていた頃は恥をしのんで暮らしていたに違いない。一度、帰省中に高熱で寝込んでいたオレに向かって「どこでこいつは人生を踏み間違えたんやろうね」と嘆きながら焼酎をストレートでインしていた。
それでも遺影を眺めていると笑みがこぼれてしまうのだから不思議だ。父上と将棋を指したこと、父上と電車で旅行したときに自販機で買ってもらったHi-Cのリンゴ味、プロ野球観戦、タバコは吸うなよとタバコを吸いながら説教してきたところなど、腹が立つ反面、それがどうしようもなく愛らしく思え、そういう生き方も悪くはないのではないかと考えてみるが、父上はそういう生き方に自覚的だったわけではない。むしろ自覚の無い分、他人に迷惑をかけ、他人を振り回していた。自覚してやれるものではないだろう。しかし、オレもまた、実はすでに無自覚にそういう生き方をしているのではないかとも思う。
足が痛くなってきた。まだ30分ほどしか歩いていない。景色は変わらない。このまま駅へ向かい、辿り着くことができるか不安になってきた。駅まではあと1時間半は歩かねばならないが、家に引き返すのであれば30分で済む。しかし駅へ向かわなければここまでの30分は無駄になってしまう。足を引き摺ってでも這いつくばってでもオレは駅へ向かうべきではないのか。四つん這いになりながらオレは駅へ向かう。雪が降ってきた。なんの音もしない田舎道に雪がしんしんと舞っている。しんしんは深深か、それとも侵侵だろうか、四つん這いで進むうち、雪はしんしんと降り積もる。深く侵してくる。手袋を嵌めておらず、手がかじかんできた。辛い。それでもオレは駅へと進む。信じる道へ進むしかない。もはや退却という選択肢は残されていない。オレはこうして行き当たりばったりに人生を歩み、引き返せばよかったものを、強がって突き進み、後悔しながら生きてきた。後悔に違いなかったが後悔とは認めずに生きてきた。しかし違うんです。やっぱり僕は、やっぱり僕は後悔しているんです。どうしてあそこで引き返さずに前進を選んでしまったのでしょうか。見栄のために根幹となるものを壊してしまったのではないでしょうか。雪はしんしんと降り積もり、僕の体ごと埋もれさせてしまいました。もう僕は前にも後ろにも進めません。僕に令和5年は来ないみたいだ。太ることなど気にせずに母上に出されるがまま、飯を食っておけばよかった。