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短編小説『You gotta 京極レディオ』
壬生にあるエフエム京極というラジオ局をご存知だろうか。昔は京極ステーションという名前だったのでそっちの呼び方のほうが親しまれているかもしれない。年配の人は略して「極ステ」と呼んだりもする。
今月四月から私はこの局のパーソナリティとして毎週月曜と火曜の夕方、4時から5時の1時間、「You gotta 京極レディオ」という番組を担当することになった。
You gottaは「夕方」と読む。いわゆる掛け言葉だ。それがオシャレなのかどうか、よくわからない。
エフエム京極がパーソナリティを一般公募しており、副業OKということだったので軽い気持ちでオーデションを受けてみたら合格してしまった。学生時代はアナウンス部に所属していたとはいえ、もう二十年以上前のことだ。
たぶん、応募者がものすごく少なかったんだと思う。私は趣味くらいのつもりで受けてみたが、そうでなければ正直やっていられないくらいにギャラが安い。小さいラジオ局とはいえ、桁が一つ違うんじゃないかと思ったくらいだ。
それでも私は1時間喋って小遣い稼ぎができるなら別に構わないと思っていたが、これがなかなか割に合わない。どこそこのホテルのランチコースを紹介するから食べにいってくださいだとか、あそこの百貨店の催しを取材しにいってくださいとか。ランチコースは無料で食べられるとはいえ、その取材に対するギャラが別途発生するわけでもなく、そこまでの往復の交通費も支払われない。局の主張によると、それらはすべてパーソナリティとしてのギャラに含まれているという。グロスとか、こみこみとか、そういう言い方をするらしい。
パーソナリティとして「デビュー」してまだ2回放送を終えただけであるが、もうすでにこんなことやってられるか、と思ってしまっている。
二十四節気は清く明るいと書いて清明。
空は清々しく澄み渡り、日差しは穏やかなのに気分だけが晴れない。
学生時代はアナウンス部に所属していたくらいだから、アナウンサー志望であった。アナウンス力にはそれなりに自信があったが、局アナとなればそれ以外のこともいろいろと求められる。「いろいろ」と書いたが、最も重要なのは「容姿端麗」であること、あとは近頃よく聞く「あざとさ」がないとあの世界では生き残れない。そういう世界だと知っていたし、(実際はどうなのかは知らないが)私は自分がそれを武器にのしあがっていけるタイプの人間ではないことくらいわかっていたので、どこの局にも志望届を出すことはなかった。
あれ?就活で提出するあれのことは「志望届」と呼ぶんだったか。
結局、親の紹介で知り合った今の連れ合いと大学を卒業してすぐに結婚したから就活をしたこともない。就職活動のことを就活と略すことさえ最近知ったのだ。
私が世間知らずだからなのかわからないが、ホテルのランチコースを「これで3500円は嬉しいですね」などと紹介するのはどうしても抵抗がある。
確かに私がいただいたコース料理はメインのお肉に前菜やデザートその他いろいろが付いて、そのどれもが美味しかったのだが、昼間からお腹を満たすためだけに3500円も使っておいて「これは嬉しい」というのは私の普段の生活からかけ離れすぎている。お昼に使う食費なんて一週間で3500円でも使いすぎだと思っているのに。
それでもこういうクライアントを紹介する場合には、原稿に書いてある通りに紹介しないといけないらしい。
記念すべき1回目の放送の前にホテルへ取材に行き、そこでいただいたランチコースのことを私はもちろん、自分の言葉でプレゼンできるものだと思っていた。
局の営業担当の男に「まだ一度も喋ってないパーソナリティが局のお金でホテルのランチを食うなんてことはいままでなかったんですよ、ましてプロでもないのに」などと言われながら、どうしてそんなことを言われないといけないのかと腸は煮えくり返っていたけれど、それでもせっかくこうして、「プロでもない」私が「局のお金で」取材をさせてもらったからには、自分の言葉でこのコースの魅力をリスナーの皆さんにお伝えできるように、必死に味覚の言語化を試みた。
無い語彙を搾り出し、自分なりに納得のできる紹介文を完成させ、あとはこれをどのように豊かな表現で伝えるか、それがパーソナリティの腕の見せ所ではないか。
苦労はしたが、これをエフエム京極の小さいスタジオの中で読み上げる自分の姿を想像するとウキウキもした。
しかし、私の作った原稿の文言は一言一句使われることがなかった。
営業担当の男がホテルから貰ったというプレスリリースをコピペしただけの文章を「一字一句違わず、てにをはさえそのまま読むこと」が義務付けられた。
私はスケキヨという名前の番組ディレクターに抗議したが、「これは田代さんの案件なんで、このまま読まないとめんどくさいんで・・」と言うばかりである。
田代というのが、例の営業担当の男である。要はこの男の案件は、少しでも現場が変更したりすると「君たちは勝手にそんなことをして、万が一クライアントのご機嫌を損ねた場合に責任を取れるのか」と半狂乱でキレ散らかすので、どれだけ面白くなかろうとも、田代の案件は現場でイジることなく、そのまま使うことになっているらしい。
実際、私は放送直前に田代本人から、「素人は僕の書いたことを読んでおけばそれでいいから」と言われた。
はじめたばかりで申し訳ないが、私はもう辞めるつもりでいる。
辞める前にはアホのフリして田代の原稿を全無視して読んでやるつもりだ。どうせ辞めるなら最後くらい清々しく締め括りたい。政治家が保身のために放つ言葉を私は辞めるために放ってやる。
清明や記憶にないと言つておけ