エッセイ『そんなつもりはなかった』
知らないうちに人の恨みを買っている、ということはよくある話なんだと思う。なぜそう思うかといえば、自分自身、他者の心ない言葉に傷ついたり憤ったりすることがよくあるからであり、その言葉を発した本人がなんら悪いことを言ったという反省の素振りを見せないからだ。
「そんなつもりはなかった」というのは、よく使われる弁明の文句であるが、「そんなつもりだった」というケースは稀であり、たいていの場合は悪意ない言葉がとんでもない刃を持っているものなのではあるまいか。自分自身、その刃に幾度となく切り刻まれているのであるから、自分自身が知らずうちに誰かを切り刻んでいる可能性は否定できない。四十三年生きてきて、他者を切ったことがないわけがない。
だいたい「そんなつもりはなかった」って全く切られた側のことを慮ってはおらず、自己保身でしかない汚い言葉だ。その昔、ちょっとした事故があったときに偉い人が現場の人間に向かって開口一番「僕の責任じゃないんですよ」と主張していて辟易としたことがある。「そんなつもりはなかった」には、あれと同じ腐った肉のようなつーんとした臭いがある。あの「僕の責任じゃないんですよ」という言葉も私を深くえぐっている。
自分自身、知らずうちに誰かを切っているかもしれないのだから、「お互い様」ということでいいのかもしれないが、「お互い様」と言うからにはお互いの立場はイーブンでなければならないところ、「そんなつもりはなかった」と言って逃げおおせようとする側の人間はだいたいの場合において、立場が上であり、下の者は仮に、「そんなつもりはなかった」としても何かしらペナルティを与えられてしまう。
私も偉くなったら、「そんなつもりはなかった」とか「僕の責任じゃないんですよ」とか言って世渡りするようになるんだろうか。そんな腐りきった人間にならないために出世を無意識に遠ざけているのかもしれない。
蠱惑暇(こわくいとま)