犬を飼っている富豪の話
信州の山奥にその家はある。
界隈では有名な富豪の家であり、代々どえらいでっかい犬を飼っている。
現存する資料で確認できるのは元禄以降のことであるが、おそらくそれ以前からもどえらいでっかい犬を飼い続けていたらしい、というのは口伝により現在まで語り継がれていることである。
かつて、この界隈では大きな犬を飼うことがステータスになっている時代があった。令和を生きる昭和の生き残りたる読者であれば、かつて高級外車を所持することがステータスであった時代が存在していたことを覚えておられることだろう。あの高級外車の役割をこの界隈では大きな犬が担っていたのである。
富豪の家というのは大抵が吝嗇であり、それ故に富豪に成り得たという家が一般的であろうが、この家は違っていて、昔から金はあるだけ使いなさいというのが家訓であったのであるが、不思議と使えば使うほど金が戻ってくる。噂話の好きなおしゃべりのところほどどういうわけか、あらゆる秘密が集まってくる、あれと同じ理屈であるらしい。吝嗇に吝嗇を重ねてようやく富豪の仲間入りをした似非富豪とは訳が違い、この名家はとにかく金を使いまくることで富豪の地位を保ち続けている。
もはやこの界隈でもどこの家も大きな犬など飼わなくなったが、そうなって尚、この家だけは富の象徴として、どえらいでっかい犬を飼い続けているのである。
信州の山奥ゆえ、碌に娯楽なんぞはないから、どえらいでっかい犬を飼うだけでは暇を持て余してしまう。他に何もやることがなければ、自然、性の営みへと人は動き出すものであるらしい。現存する資料で確認できる元禄以降、この家の主人どもはどえらいでっかい犬の世話をすることと、食って寝ること以外の時間は大抵、セックスをしており、自然、一族が増えてゆく。
中には落ちこぼれてしまった家もあるが、実家たるこの名家から分家した一族の家々も隆盛を極め、それはやはり、金を使いまくったことによる結果であったということなのだが、それについては詳しく触れない。
昔見たフランス映画は男と女が道端で出会ったシーンのすぐあとのカットでもうその男女がベッドの中でいたした後であった。大事なところは端折る、あのフランス映画の美学を踏襲してみただけである。
実家たるこの名家から派生した一族どもの家々においても、やはり富の象徴としてどえらいでっかい犬が飼われたのであるが、ちょうど京都中華の名店「鳳舞」から暖簾分けした店がすべて「鳳」の字を店名に付けているのと同じように、この一族では飼っている犬に同じ名前を付けている。
犬といえば、ありがちなのはポチだとか、コロだとかが定番であろうが、この名家はもとがずいぶんひねくれているのか、もしくはただのアホであるため、猫の名前にありがちな「ミケ」という名前を使用している。この一族は犬にミケという名前を付け続けているのである。
もうおわかりのことと思う。
犬がミケの一族の話である。
#ダジャレ #短編小説 #ショートショート
#超短編 #アホな話
#涌井慎 #わくいまこと #こわくいとま
#暇書房
私の著書『1人目の客』や1人目の客Tシャツ、京都情報発信ZINE「京都のき」はウェブショップ「暇書房」にてお買い求めいただけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?