京都フルーツ ソメイヨシノの由来
涌井慎の京都フルーツ。
知られざる京都の
フルーツのような魅力に
迫っていきます。
3月22日のことです。
京都地方気象台が
桜の開花を発表しました。
本格的な春の到来です。
ご存じの方も多いかと思いますが、
ここでいう「桜」は
「ソメイヨシノ」のことです。
「ソメイヨシノ」が
「桜」を
独占していることについて、
他の「桜」はどんな風に
思っているのでしょうか。
「ソメイヨシノ」には所詮、
その他の気持ちなんぞ
わからないものなのです。
ソメイヨシノについては
京都が発祥の品種であることは
あまり知られていません。
江戸時代末期、幕末に
その名も染井よしのという芸妓が、
島原に植えた桜が全国に
広がったものだといわれています。
芸妓の染井よしのは
それはそれは美しく、
染井よしのが通ったあとは
砂利だらけの道さえ
透き通るほど清らかになったと
近藤勇が
語っていたとかいないとか。
遊郭で染井よしのに
挑もうとしたら、
かんざしに手をかけただけで
出るものが出てしまったと
土方歳三が
語っていたとかいないとか。
沖田総司に至っては
夢の中でことに及んで
先に終わってしまったとか
しないとか。
統計があるわけではないので
定かではありませんが、
幕末の京都で、
染井よしのと付き合っていると
思っている男は、
全ての京都在住の男のうち、
実に6割にのぼったといいます。
その6割の男どものなかに
染井よしのとの間に
子をなした者は
一人もいませんでしたが、
どうにかして、自分が
染井よしのと関係を
持った男であることを
後世に証明したいという
男どもの浅ましさ。
奴らは こぞって染井よしのが
島原に植えた桜の種を
持ち帰ったのです。
現在も客のフリをする
偽物の客のことを
「サクラ」と呼ぶのはもともとは
染井よしのに群がる
男どものことを揶揄した
言葉だったと
言っているのは私です。
※写真はソメイヨシノではない。
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