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デヴィッドボウイの愛した庭園

涌井慎です。
趣味はお寺で自撮りすることです。
近頃ウイルスのせいで
自粛しておりましたが、
久々に趣味を満喫いたしました。

西賀茂の山の麓にある正伝寺。
獅子の児渡し庭園は
デヴィッドボウイが
その静けさに涙を流したという
庭園です。

本来、その情報は
お庭を眺めるうえで、
まったく必要のないものですが、
そうでないと、
私は正伝寺に行くことさえ
していなかったのですから、
つくづく世の中は
必要のないものが
必要とされていて、
回っているものだなぁと思います。

ウイルスの影響か、
暑さのせいか、
わかりませんが、
その二つにダブルパンチを
見舞われるなか、
わざわざコロナ禍炎天禍で
庭を観にきたのは
なんと私1人きり!

まさにデヴィッドボウイの気分で
1人静かに庭園を眺めました。
いや、デヴィッドボウイの場合は
決して1人ではなく、
撮影する人ほか、
スタッフと一緒やったはずなので
今日の私は
捉え方によっては
デヴィッドボウイ以上に
デヴィッドボウイでした。

とはいえ、
静かだったかといえば
そんなことはなく、
蝉や鳥の鳴き声がして、
それはそれで、
生き物たちの営みを
感じられるようでよかったです。

詳しくないから残念なのですが、
「蝉」「鳥」といっても
おそらく種が違うのでしょうが、
鳴き声鳴き方は一様ではなく、
これまた不思議なことに、
ある蝉の鳴き声は
また別の蝉の鳴き声も
鳥たちの鳴き声も邪魔をしない。
好き放題鳴いているようで、
お互いがお互いの領分を
わきまえているんですよね。

時にオーケストラに
例えられる所以が
わかったように思います。

唯一、何もわきまえていないのは
木を切り落とす
チェーンソーのようなものの
ウィーーーンという音だけでした。

禅のことを勉強したら、
いろいろと解釈が
あるのかもしれませんが、
なんとなく感じたのは
こういう枯山水のお庭って
結局自分の心を
映し出すものなんでしょうね。

ずっと眺めていると、
あの白い砂が、
ゆらゆらと揺らめいて
話しかけてくるんですよ。

自分で書いていて、
こいつ、痛いなーって思いますけど
ほんまに話しかけてきたものは
仕方ないですよ。
いろいろ話しして、
グサっときたのは
自分が変えられるのは
自分しかなく、
他人を変えるなんてことが
できると思い上がってませんか、
ということでしたね。

こうやって、
自分と向き合うための装置として
お庭があったり、
お寺があったり、
修行があったり、
禅があったり、
お経があったりするんでしょうね。

非常に良い時間を過ごしました。
しかし、
西賀茂にチャリでの
GO TOはしんどかった。
庭が揺らめいたのも
何かと話ししていたのも、
ひょっとしたら
軽い熱中症だったのかもしれない。

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