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日常を取り戻せ

 2月26日に「涌井大宴会」という自主企画イベントを開催し、無事終了いたしまして、いまだに余韻に浸っておるわけでして、個人的には来てくださった方たちと、「あれが面白かった」「あのネタはわかりにくかった」などということを話しながらまだまだ打ち上がっていたい気分なんですが、あんまりやりすぎるとめんどくさがられ、果ては来年開催しても、「あいつ、終わってからしつこく感想聞きたがるん、うっとうしいから行くのやめとこ」となっては困るので、やめておく。ただ、先日、まさか来てくれているとは思っていなかった先輩が、「こないだ、面白かったわー」と話しかけてくださり、この方はラジオ関係の先輩なのですが、いわく、イベントのサポートをしてくれていた片山尚志が、「事前に涌井くんから、僕は台本をもらってるんですけど、台本だけ見たら何が面白いか全くわからないんですよね」とステージ上で言っていたことについて、「ラジオの台本にも通じるところがあるよなーって思ったわ」とおっしゃっており、確かにそうかもしれないと思いました。もっともっと、こういう話がしたいんです。欲しがりですみません。ただ、一つ言っておきたいのは、片山さんが「何が面白いかわからなかった」と言っていた箇所は、実際にあまり受けなかった、ということです。ぴえん。

これが噂の台本の一部



 なんにせよ、私にとっては、まだまだ、しがんでおきたいほどの大仕事やったことは確かでして、思い返せば、イベント開催前の数日は、他の様々なことを後回しにして、イベントを第一に考えておりました。やらねばならぬ業務に関しては、もちろん優先してやっていたつもりなのですが、それ以外の、例えば、新聞記事のチェックであるとか、読書であるとか、俳句であるとか、そういった「絶対にならなければならないとまではいえないあれこれ」に関しては、全て涌井大宴会が終わるまでは放置していたのでした。

 新聞記事はおかげでチェックしていないものが一週間分くらい溜まってしまっており、読書は積読が増えまくってしまったし、俳句は一ヶ月ほど一つも作ることができず、月に一回、京橋で開かれている句会も参加せず、これまた月に一回開催のネット句会にも不参加となってしまいました。

 涌井大宴会終演後、今日までの日々は、それら、私を形作っている日常を取り戻すために費やされまして、まず、本日、ようやく溜まりに溜まった新聞記事を全てチェックし終え、読書に関しては、『文學界』の3月号をようやく読み終えました。先週発売された週刊文春もさきほど読み終えました。読書の在る日々も戻りつつあります。

 問題は俳句です。しばらく遠ざかっていたためなのか、何も思い浮かんできません。本当は、今日のこの文章は「久しぶりに俳句作ったでー!」という内容にするつもりだったのですが、思い浮かばなかったためにこんな文章になってしまいました。昨年の四月にはじめて京橋の句会に参加させていただき、その際にはじめて作った句は、

霾りて御室桜の厚化粧

 というものだったのですが、これは「霾」と「御室桜」のどちらも季語であり、季語が二重になっているため、よくない、という指摘がありました。私としては、それもわかったうえで、「季語も厚化粧している」という句を作ったつもりだったのですが、季語が重なっている時点で「アウト」なのでありました。※俳句の世界で絶対にタブーというものではないらしいのですが、私の参加している京橋の句会においては、季語重なりは評価されないようです。

 あれから間もなく一年、しかも、久々の俳句へのカムバック。ということで、なんとか、この同じ「霾」で一句作ればせぬものか、と、先程から、うーんうーんと頭を捻らせながら考えておるのですが、なかなか、できあがってきません。※霾は黄砂のことです。
 かくなるうえは、霾にこだわらず、とにかく一句作ってみよう。一句できたところで、ようやく、私は日常を取り戻せそうな気がする。

見てください!磔磔の価値が下がっております!


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