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短編小説『出雲路橋のオオサンショウウオくん』

 その姿を見たのは一度きりである。
 賀茂川に架かる出雲路橋の少し北、コロナ禍にベランダで晩酌する用に買った小さい折り畳み椅子を川縁にセットし、俺はいつものようにポケットラジオで極ステを聴きながら日本酒をきめていた。酒のことを「きめる」なんて言うのをカッコいいと思っているわけではないが、若い頃にはそういう尖り方が流行っており、当時から使い続けていたら癖みたいになってしまっただけだ。

 前の日は大雨で川沿いの土は水を含んでいたため、折り畳み椅子の脚はすぐに泥にまみれてしまった。植物には疎いから、チューリップやパンジーくらい主張が強くないと全部雑草に分類してしまう俺である。出雲路橋周辺の雑草は雨に濡れて喜んでいるように見えた。

 極ステというのは京極ステーションというラジオ局のことだ。二十年ほど前に開局したとき、局長だか何だか忘れたが、近隣の皆さんへご挨拶といってウチにも来た。
 ラジオでもテレビでも俺はそんなことをする局を聞いたことがなかったから感激して以来、毎日極ステを聴き続けている。人と人とのつながりというのはそういうものではないかと思う。
 昼に喋ってる柿元キヨミっていうパーソナリティは甲高い声でうるさい奴だと思っていたが聴いているうち、いつも溌剌とした明るい声に元気をもらえるような気がしてきた。
 平日の帯番組を男のパーソナリティと交互に担当しており、火曜と木曜が彼女の担当だ。
 男のほうは知識をひけらかすようなところがあり苦手なので一度聴いたきり聴いていない。その点はせっかく挨拶回りに来てくれたというのに申し訳ないと思っているが、落語は江戸しか認めないとか、僕レベルで音楽が好きだとサザンとか聴けないとか、そんなことを得意げに語る男の話を誰が聴きたいと思うだろうか。

 読者の皆さんはそろそろ、いい加減、何の姿を見たのが一度きりなのか、気になっている頃だろう。いつまでもお値段を言わないラジオショッピングみたいなことをして申し訳ない。
 俺が見たのはオオサンショウウオだ。
 固有種は国の特別天然記念物に指定されている。ここよりさらに上流の雲ヶ畑あたりではよく見かけると聞くが、前に一度だけ、この出雲路橋のあたりを歩いていたら何やら川縁に見慣れない蛇みたいな蜥蜴みたいなそのどちらでもなさそうな斑模様の生き物が動いているのを見て、その数日前に京極新聞にも載っていたからすぐにあれはオオサンショウウオだとピンときた。固有種と外来種の交雑が進んでいるという記事だった。俺が見たのが固有種か外来種かはわからない。

 あの日以来、俺は毎日、朝から日が暮れるまで雨の降らない限り、日本酒をきめながらチェアリングしている。好きな場所に折り畳み椅子を持っていって過ごすことをチェアリングというのも俺は柿元キヨミのラジオで知った。

 気まぐれに番組宛てにメッセージを送ってみたのがちょうどオオサンショウウオを見かけた日だった。賀茂川沿いを歩いていたらオオサンショウウオを見つけましたとメッセージを送ったらそれを読んでくれたのだった。
 クリフォードブラウンのA列車で行こうのリクエストには応えてくれなかった。我ながら少しカッコつけすぎたと思う。月・水・金に喋ってるいけ好かない男のパーソナリティの好きそうな選曲だと思い吐き気がした。

 メッセージを読まれるのが思いのほか嬉しくて火曜日と木曜日は川縁の折り畳み椅子に腰をおろし、日本酒をきめながらラジオを聴くようになった。番組開始と同時に柿元がいつも同じテンションで話しだす。
 彼女は声色から推察するにそんなに年はとっていないはずなのだが、時折、実に深い洞察力でもって人間について語ってみたり、時に西田幾多郎だとか、本居宣長だとか、はたまた、李白や杜甫などを持ち出して果てしなくロマンチックな哲学話などを展開するから油断ならない。何度も引き合いに出して申し訳ないが、なぜ月・水・金のぺらっぺらの男が三曜日で柿元キヨミがニ曜日しか担えないのか、不思議でならない。

 オオサンショウウオのくだりをメッセージして以来、火曜日と木曜日に俺は必ずメッセージを送る。最後に「今日もオオサンショウウオは見かけません」と書くのがお決まりだ。
 リクエストはカッコつけすぎず、ボーイズタウンギャングの君の瞳に恋してるとか、アバのダンシングクイーンとかをリクエストしたら五回に一回くらいはかけてくれるようになった。別のラジオネーム をちゃんと用意しているのだが、二回目以降はもう、「出雲路橋のオオサンショウウオくん」と呼ばれるようになった。いい歳したおっさんをくん付けしてくる彼女は果たしていくつくらいなんだろう。

「出雲路橋のオオサンショウウオくん、いつもメッセージうれしいんやけど、オオサンショウウオくんがオオサンショウウオ見つけたのって最初の一回きりやんな。あたし最近、オオサンショウウオくんが二回目見つけてくれるのを待ってる自分に気づいたんやんか。なんか、あたしも出雲路橋に一緒にいてオオサンショウウオくんの隣であたしもチェアリングしちゃったりなんかして。さすがに昼間からあたしは日本酒はよう呑みませんから、まあ、ビールかな。マルエフ好きやねん。二人でちびちびやりながらオオサンショウウオ見つけれたりしたら最高やん、ってまあ、もちろん、あたしはオンエアがありますから、残念ながらそちらには行けないんですけれども。せやし、オオサンショウウオくんが今度、オオサンショウウオを見つけてくれるんを、オオサンショウウオみたいにぬべ〜っとしながら待ってます!」

 こんなに溌剌と喋る柿元でもぬべ〜っとオオサンショウウオみたいになることがあるのかと、声しか知らない彼女の姿をオオサンショウウオと重ねて笑ってしまった。

何歳かわからない君山椒魚

わかる人はわかると思うが
これは出雲路橋ではない。

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