エッセイ『平均60点のが喜ばれる』
令和4年9月14日
もう十年以上前のことですが、メジャーデビューして東京進出したものの、結局鳴かず飛ばずで関西に戻ってきたバンドのリーダーとバーで一緒になったことがあり、彼は「オレたちはこんなもんじゃない。才能はあるから売れるはずや」と言うんです。お、なかなか言うね、ええやんええやんと思っていたのですが、その彼が「ちゃんとしたサポートをしてくれたらオレたちは絶対売れる」っていうものですから「サポート?何を甘えとるんじゃ!一回契約切られてもう一回見返したるんじゃ!って思うんやったら自分らだけでやってみろや!」と思ったんですが、十年以上経ってみて思うのは、むしろ逆で、サポートを受けてうまくいくなら誰かにサポートしてもらえるといいね。そういう人を見つけるところから始めてみようか、っていう優しさが芽生えてきました。
ええ曲を作る才能と、バンドのマネージメントをする能力は、まったく別物です。前者に秀でている人間が後者もできるとは限らず、むしろ、前者の才能ある人間は、その他諸々に欠陥のあることが多い気がします。そうであるなら、むしろ、しっかりとマネージメントをしてあげる人がいないことは、せっかくの才能を埋もれさせてしまうことになってしまいます。なんでも一人でできるというのは幻想です。適材適所という言葉もあります。本来なら、細かく仕事を分担し、その分担分のスペシャリストに仕事を任せるのが一番いいに決まってます。
ところが。
そうすると人をたくさん雇わなければなりません。例えば5種類の仕事があり、すべての仕事が60点の人材と、5種類のうち1種類は完璧で300点やってもいいくらいなのに他4種類が0点の場合、企業は平均60点を雇わざるをえません。というか、平均60点を大切にします。300点もいらんねん。もっとできることを増やせと怒られてしまうかもしれません。せっかく300点持っていても、これでは0点と同じになってしまいます。人件費が嵩むばかりに300点が0点とみなされ、平均60点が重宝されます。それどころか、平均30点でも1種類だけ300点の人よりも大事にされるのです。
果たしてそれでいいんでしょうか。冒頭のバンドのリーダーが「ちゃんとしたサポート」があれば本当に売れたのかどうかは定かではありませんが、かつての私のように、そういう人間に対して多くを求めがちな世の中であることは昔から変わっておらず、むしろ、そういう状況はどんどん酷くなっております。何か一つに特化した才能を持つ人たちは冷遇され、不貞腐れ、なんでもある程度できる人ばかりが大事にされる。本当にそれでいいのかどうか。そういう世の中であるほうが助かると思う反面、そういう世の中になったら困るとも思う。皆さん、どっちのがいいですか。