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しゃもじはどちらのグループか
皿各種、コップ各種、弁当箱、茶碗をグループ1とする。箸、スプーン、フォーク、鍋、おたま、フライパン、包丁、まな板をグループ2とする。
洗い物をする際はグループ1とグループ2を交互に洗うものとする。
というのが私のルール。なぜかはわからないけど、こうしないと落ち着かない。他の食器も都度、グループ1かグループ2に振り分けたうえで洗う。交互に洗い、どちらかが余ってしまうことがある。これが私はとても嫌で虫酸が走る。なんとかキレイにまとめて終わりたいからテーブルの上にまだ何か洗っていない食器が無いか探しにいく。すると、うまい具合にコップが三つ置きっ放しになってあり、余っているのが箸三膳だったからちょうどプラマイゼロになる!とテンションがあがったり、逆にお椀とお皿、コップが一つずつ余ってるのにテーブルにはコップが三つ置いたままで、余りが3から6に増えるということもあり、この場合は腹立たしくて仕方がない。
こういう他人には理解してもらえなさそうなルールを遵守したがるのが私の悪い癖で、しかしいっぽうで、これはあくまで自分だけのルールだから厳しめに守っているだけで、公の場に出たときには、なるべく私的なルールで周囲を巻き込まないようにしたいとも思っている。
みんながみんな、自分のルールで動き出したら社会をうまく回すためのカロリーが上がってしまう。自分のルールが自分のなかにめちゃくちゃたくさんある分、余計にそう思う。であるから、なるべく自分のルールについて、社会においてはあまり出すべきではないと思っている。こんなことを書くと家庭だってれっきとした社会なんだから、洗い物のつまらないルールを家族の前で遵守してるんじゃないよとお叱りを受けるかもしれないが、そう思うから、最終的に余ったとしても、泣く泣くちゃんと全部洗うことにはしている。
先々週くらいだったか、DJの谷口キヨコさんの短歌が歌会始で佳作をとったというニュースに感激した私は、こんな何も成し遂げてないオレみたいなもんが酒なんか呑んでたらあかん!と思い、禁酒を決めたが、飲み会に誘われた際はお酒を呑んでいる。禁酒は私の勝手なルールであり、私を飲みの席に誘ってくださった方に私のルールは関係ないからだ。社会がローカロリーで回っていくためには、ある程度、無いことにしておかなければならないルールというものがあると私は思う。
だから余計に自分のルールを押しつけてくる人に対して私はがっかりしてしまう。僕はこういう人間なんで。私はこうなんです。そんなことは知ったことではない。ここは僕でも私でもなく公なんだから、いろんな人がいるんだから、いろんな人のいろんな妥協と折り合いのもと、うまいこと回していかないと結局自分で自分の首を絞めることになりませんかね?って思いながら、しゃもじをどっちのグループに入れるかでずっと悩んでる次第。