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短編ポテトチップス小説2:のりしお

 仕方ないが半分、なんでやねんが半分。本当はなんでやねんがほとんどだけど、これまでにも似たようなことが何度もあった。いちいち怒っていたら疲れるだけだからあきらめることにしている。若い頃はもっと食ってかかった気もするけど演出の田宮さんとも、もう長い付き合いだから言わんとしていることはわかるし、いくらあたしが何を主張してもこの人が変わることはないことも知っている。はあ。聞こえるようにため息をつくくらい許してほしい。
「気に入らないなら言いなさいよ、言わないなら気分が悪いからそういうため息をつかないで」
「あたしがなんでため息をつくかはわかってますよね」
「わかるよ、わかるけどだからと言って変えるわけにはいかない」
「どうせ言っても変わらないから言わないつもりでしたけど、どうして主役の女の子が左利きじゃいけないんですか」

 ヒロインの由美子は、よくいえば真面目だけど融通がきかなくて誰が相手でも自分に非が無いことなら絶対に引かない頑固さのため、職場にハレーションを起こしがち。友人たちはそういう由美子のことを扱い難いと辟易する反面、真面目なことはわかっているから憎むこともできず、上司や取引先と由美子の衝突をなんとか回避するよう努めている。
 その由美子を演じるのがあたしなんだけど、由美子のキャラ設定のところにはわざわざ「右利き」と書いてある。どうしてこんなことが書いてあるのか、といえば、あたしが左利きだからだ。台本を読んでみたけど、由美子が右利きじゃないといけない理由はどこにもないように思える。でも田宮さんは由美子が左利きであってはならないと言う。

「じゃあ逆に由美子が左利きである理由って何なの」
「右利きか左利きかに理由なんかないです。生まれつき決まってるものなんだから別にどっちでもいいじゃないですか」
「うん、現実はそう。でもお芝居は違う。海外は知らないけど日本では左利きって全体の11%ほどなの。だいたい十人に一人。百人中十一人だから珍しいといえる。じゃあ、物語の主人公を左利きに設定した場合に、それは何故なのか、っていう正当な理由が必要になると思うの。あなたは自分が左利きだからあまり気にならないかもしれないけど、右利きの私からすると左利きの人って字を書いてるところとか、ご飯食べてるところとか、やっぱりなんか不自然に見えるの。演劇では不自然に見えるところには何か意味がないといけない。主人公を演じる演者が生来左利きだからっていうのは、意味にはならないって私は思う」

 田宮さんがこう言うのはわかっていた。だから仕方ないと半分あきらめていたんだけど、でもそのせいで右で字を書いたり右で箸を持ったりする練習をしないといけないあたしの身にもなってほしい。だいたい田宮さんはちょっと保守的すぎるんじゃないかと思う。こんなこと言いたくはないけど、たかだか百人規模の会場でやるアマチュア演劇じゃないか。仮にあたしが右利きの設定だとしても、字を書いたりご飯を食べたりする場面を作らなければいいのに。ああ、腹が立つ!この腹の立つ感じは由美子が抱く憤りに似ている。そうか、こういう感情を由美子は抱いているのか。ひょっとしてそういう気づきを与えるために田宮さんはあたしを右利きにしたのだろうか。たかだかこんな演劇のために?ふん、馬鹿らしい。でもそうだとしたらちょっとすごいし、ちょっと笑える。仕方ないな、まあ、頑張ってやるか。主役のやる気は少なからず作品の出来を左右するはずだからな。

 帰宅。
 納得はしたけれどむしゃくしゃはしているからポテトチップスを齧る。由美子がポテトチップスを齧る場面がある。由美子はめちゃくちゃ音を鳴らして齧る。なんでやねん田宮のあほ。左利きの何があかんねんと思いながらポテトチップスは右手で掴んでいる。あんなに融通の利かない保守的思想で田宮さんはやっていけるんだろうか。あたしたちが折れてなかったらとっくの昔に仕事を失くしちゃってるんじゃないだろうか。待てよ。主人公の由美子って田宮さんなんじゃないのか。田宮さん自身が普段抱えている鬱屈した感情が由美子を突き動かしているのだとしたら?それをあたしの演技に託しているのだとしたら?

 帰り道、いつものコンビニでいつものポテトチップスうすしおを買うつもりだったけど、今日はむしょうにのりしおが食べたくなった。定番がうすしおだとしたら、のりしおはいつまで経ってもナンバー2だ。由美子がのりしおを食べていたら田宮さんは「うすしおを食べない理由」を問うだろうか。物語の主人公がのりしおを食べた場合にも、やはり正当な理由が必要になるのだろうか。でも由美子みたいに頑固でぶれずに我が道を行く人は、何が定番だろうが己の好みを貫き通すのではないか。果たしてそれは「正当な理由」になり得るのか。明日田宮さんに聞いてみよう。

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