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所詮ダブルスタンダード

今日の宮崎日日新聞『くろしお』に教員のわいせつ行為についての記述がありました。

【以下引用】
問題が起きると、教育関係者は「一部の不心得者が」とよく口にする。ほとんどの先生が真面目なのはその通りだろう。だが長年被害者支援に当たってきた元中学校教師は「学校の構造的な問題として「何となくおかしいと他の教師が気付いても気兼ねして言い出せない」空気がある、と指摘する。(引用終わり)

その空気は痛いほどによくわかる。中学1年の頃、放課後に2階の窓辺でタバコを吸っている3年生がいました。白昼堂々もくもくと煙は空に上がっていきました。先生が気づいていないはずがありません。見ないことにしていたのだと思います。強く厳しく指導することもなかったように記憶しています。知らないところで指導があったのかもしれないし、その辺のことはわかりません。この例の場合は生徒の悪さについて、先生がスルーしているわけなので、先生同士が気兼ねして言い出せない雰囲気とは話は違いますが、原因をみんな理解しているのに核心には触れないときの空気感って同じなんじゃないかな、と思うのです。

ただ、教員のわいせつ行為に関しては言語道断、許されるべき行為ではないし、これについては、気兼ねする雰囲気というのは「悪」でしかないんですが、この「気兼ねする雰囲気」というやつは、本来、美しくもあるはずなんですよね。お互いに大切にしているテリトリーには踏み込まないエチケット。土足で人の家に入り込んだらいけません。もうちょっと考えようやー、、、ってことありますよね。かく言う私も、「ああ、今話したこと、今のタイミングじゃなかったな」とか、「さっきのLINE、わざわざこのタイミングで送る必要なかったよな」とか考えて落ち込んでしまうことがあります。人と人との距離って、すごくデリケートなものですから、親しき仲であっても、そういうところ、考えながら付き合っていくべきなんですよね。

もとの教員のわいせつ問題とは、まったく別の話をしていることはここで改めてもう一度、確認しておきます。確認しておかないと、ひょっとすると流し読みしていたら、わいせつ行為も見て見ぬフリをするくらいの距離感を大事にしようと主張しているように読めかねない。そんなことはまったく主張していませんからね。

自分の仕事に関していうと、私はディレクター。ある番組の収録で、お話しされるDJさんがいて、時にはゲストがお越しになることもあります。ゲストの方と番組制作サイドの私たちを橋渡しする役目の方がいます。DJさんとは付き合いも長く、それなりに信頼関係ができあがっているけれど、橋渡しさんとは実は普段、あまり交流がないというような場合に、さぁ収録スタート!ゲストさんめちゃくちゃおもろい!思ってたより盛り上がって15分でいいところ、30分になってしまった。なくなくカットしないといけない箇所が出てきてしまう。なんていう時に、ゲストの方が「たくさん話してしまってごめんなさいね。何か問題になるような箇所はありませんでしたか?」などと気を使ってくださっているところ、信頼関係のできあがっているDJさんではなく、ではなく!ではなく!!橋渡しさんのほうが「問題あったら編集でカットするから大丈夫ですよー」なんてゲストの方におっしゃられているのを聞いた時にゃあ、やっぱり「はてな?」が残ってしまうわけですよね。編集をする私のセリフを、あなたに言われたくない!!

距離感を誤ることによって、知らずうちに誰かに失礼をかましていることって、きっと私もよくあるのだろうと思います。腹を立てることもあれば腹を立たせてしまうこともあるのが人間ですね。はい、すみません。どっちにも、なってしまう可能性があるのだから、あんまり人のことを怒ってばかりいてもいけませんね。俺たちみんな、所詮ダブルスタンダードなんだ。ただ一つ言えるのは、「あなた、今のおかしいよ」って言い合える仲を誰かと築きあげられたら、それをこそ「信頼」と呼ぶのでしょう。私は誰かに信頼され、誰かを信頼しているのだろうか。

孤独を感じている場合ではないな。

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