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やっぱり言ってよかった

 一昨日テレビで「夫が寝たあとにすること」のアンケート調査のランキングを当てるクイズをやってるんですが、私は「夢を見る」「歯軋り」「いびきをかく」などだと思っていたら正解が「テレビ・動画」「美容・健康ケア」「読書」などでした。

 よくよく見ていたらすぐに「夫が寝てしまったあとの一人時間に妻がすること」のランキングだということがわかったんですが、初見では「あなたのお家の夫さんは寝たあとに何をしていますか」という質問だと思ってしまい、なんともピンポイントというか、ニッチなアンケートを実施したんだな、こんなランキングをゴールデンタイムに紹介するのか、などと思ってしまいました。

 日本語は難しい。
 日本語に限らずかもしれないですけど。

 おととい書いた「られる」の用法の多さについてもそうですが、この難しさ、ややこしさ、ままにならなさがあるからこそ、言語に取り憑かれてしまう人がいて、その人たちの紡ぎ出す物語に触れることで私のような者は生きながらえている気がします。

 先日、知人が職場の不満について上司に伝えるべきか否かを悩みに悩んで、結果、言わなかったんですけど、その上司から「何かあったらいつでも言ってきてね」という主旨の熱い長文メッセージが届いたらしく、その顛末を私にひと通り話したあと、「やっぱり言ってよかったですね!」と言ってきたので、「あれ?でも言ってなかったんですよね?」と私は思ったんです。

「やっぱり言ってよかったですね!」というのを私は「言った人が言う台詞」だと思ったんです。あいつ、いつもいつも靴下脱ぎ捨てたままにしてるから「ちゃんと片付けてよ!」と言ってやったら意外と素直に言うこと聞いてそれ以来しっかり片付けるようになったの。やっぱり言ってよかった!っていう用法です。

 しかし、逆に今回のケースのように言うか言うまいか悩んで結局言わなかったけど上司がすごく熱い人だったからやっぱり言ってよかったですね!という使い方も全然間違いではありません。

 ということは、「やっぱり言ってよかったですね!」は実際に言った場合と言わなかった場合とで全く意味が変わってしまうわけです。
 他の言語のことはわかりませんが、日本語にはこういうことが頻出します。時に誤解を引き起こし、取り返しのつかないことになってしまいかねない危うさがありますが、そんな危険物をも半ば遊びながら使う私たちはたいしたものだと思います。

 この切れ味鋭い繊細な危険物を簡単に使いこなそうとするから誹謗中傷なんかがSNSには飛び交ってしまう。日本語に限らず、言語は、言葉は難しい。誰でも使えるのに難しい。こんな厄介なものはないけど、故にこんな愛しいものもない。言葉にも愛をもって接していきたい。

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