記憶、捏造してみました
3年ほど前まで次男が「きかんしゃトーマス」のことを大好きで、毎日毎日見ていたものですから、トーマスとゴードンとジェームスとパーシーの見分けがつかなかった私も、「推し」が見つかる程度には好きになりました。(ちなみに「推し」はパーシー。あの子以外、割と悪いやつばっかり。)
あのお話は、機関車たちが主役で、つまり、機関車が正義とまでいわずとも、「いいもの」なわけですが、機関車なんて、脱炭素や温暖化防止やの世の中で、「いいもの」であるには限界がくるのも近いのではないかしら?などと思っていたら、そんなところよりも先に男キャラと女キャラの比率が半々くらいになり、まず、ジェンダー問題の解決に走ったのでありました。(まぁ、「いいもの」だからといってなんか対決したり、悪者退治したりするわけではないんですが。なんにせよ、キャラの8割方はイヤなやつです。)
次男が突然、何がきっかけだったかわかりませんが、微塵もトーマスに興味を示さなくなったため、私も今はまったくトーマスを追いかけていないのですが、どうしてトーマスのことを書いたのか、といいますと、「JR西日本が21日、毎年春と秋に滋賀県北部の北陸線を走る観光列車「SL北びわこ号」の運行を終了すると発表した。」というニュース記事を読んだからです。
以下、記事を引用しますと、
「老朽化に伴い修理コストが増えていたほか、新型コロナウイルス感染拡大防止策を講じるのが難しいことも理由に挙げている。関西で唯一、営業運転を続けてきた蒸気機関車(SL)が四半世紀の歴史に幕を下ろす。」とのことです。
私は、まさにこの北びわこ号の走るエリアに住んでいたものですから、「北びわこ号」という言葉だけでノスタルジーを感じてしまいます。乗ったこともなければ、走っているのを見たこともないのですが、亡き父が鉄道員だったこともありまして、電車汽車の類は生活に身近であったのです。思えば、ほとんど実際に目にした記憶がないくせに、作り上げたイメージのなかで、田んぼ道を貫く線路を北へ向かい煙をあげ、ポーーーーっと汽笛をあげながら、颯爽と走らせているのですから、面白いものです。記憶も郷愁も簡単に捏造できてしまうのだ。
またまた記事を引用しますと「SL北びわこ号は、1995年、北陸線米原―木ノ本間(22・4キロ)で運行を開始した。4~5月と10~11月の春秋限定で全国の鉄道ファンや家族連れから人気を集めた。コロナ禍で2019年11月10日が「ラストラン」となった。約25年間の乗客は累計34万人に上る。」そうです。※引用元はすべて「京都新聞」
となると、1995年は私、中学3年生で、その後高校の3年を経て京都に引越しちゃってるわけですから、やっぱり碌に記憶にないのもそりゃそうだって感じです。鉄道マニアでもないし。作り上げたイメージのなかでは、私はもっともっと小ちゃくて、幼稚園児くらいで踏切の近くで炎天下、アイスクリームをしゃぶりながら、カンカンカンカンという踏切の音が響くなか、ゴゴゴゴゴゴーと轟音を立て、北びわこ号は通り過ぎゆくわけですが、いったいこの大迫力の北びわこ号の記憶はどうやって作られたのでしょう。だいたい春秋限定の運行なんだから、炎天下でアイス食うてるのもおかしいし。
たまの帰省の際に父親や母親から北びわこ号の話を聞かされたり、北びわこ号ではない普通の電車が通り過ぎるのを踏切で待つことがあったり、時は流れ、トーマス好きの次男と一緒に嵐電が通るのを壬生あたりの踏切へ眺めにいったりした記憶が、全部ごちゃまぜになって、いつの間にか私の郷愁にすり替わってしまったらしい。
人間の記憶ってそんなところがあるみたいです。いや、私だけかもしれないけれど。ちょっとした思い込みで「あれ、ひょっとして僕、仲間はずれにされてるかも」なんて思っていたら、現実ではそんなことまったくないのに、思い続けることによって、いつのまにか自分のなかで「現実」になってしまい、結果、本来仲間はずれなんてしていなかった人たちも「あの人最近おかしい」なんて具合に遠ざけてしまうことになる。逆に「あれ、ひょっとして私、あの人のこと好きなのかも」みたいな勘違いが勘違いじゃなくなってしまうこともあるのかもしれません。
自分のことは、なかなか正しく見えないものです。だって私たちの目は前を見るようにできているから。自分のなかで、勝手に物語を作り上げてしまっていないか。特に人間関係に関しては、冷静になってみる必要があるよなー。なんてことまで考えた北びわこ号運行終了のお知らせなのでした。
#令和3年5月21日 #コラム #エッセイ
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