何度も書いてしまうけど
最近のテレビは全然面白くないから見ないんですっていう人はだいたい自分のことを感性が尖っていて今のテレビ程度では満足できないんですわ、俺って鋭いよね〜っていうニュアンスを隠しきれずにいるんですけど、そういう人が実際に面白いかといえば決してそんなことはなく、どちらかといえばオールスター感謝祭を涙流しながらおもろいおもろい言うて見てる人のほうが私は面白いと思う。
否定するのは楽なんです。
かく言う私も否定から入ることは多く、どうしても受け入れられない人というのがたくさんいる。それが例えば「最近のテレビは全然面白くないから見ないんです」っていう自分の感性を鋭いと思っている人だったりするんですけど、こう、否定から入ってしまうとそっち方面は思考停止してしまうでしょう。その奥に面白いものが隠されているかもしれないのに入口で「嫌い」と判断してしまうことによって、永遠にその奥にある面白いものに触れることができない。最近のテレビは面白くないと言っている人がオールスターズ感謝祭の面白さに触れられないのと同じで、私も「嫌い」の扉の向こう側にある未知の面白さには絶対に辿り着けないのです。
もったいないという思いもあるし、短い人生にわざわざ嫌いなもんの奥に潜んでいるかもしれない面白さを探しになんぞいきたくはないとも思う。ただ、最初から嫌いにならなければこんな風にシャットダウンすることはなかったのだろうと思うと残念ではあります。
テレビは面白くないという人に対して「笑点は面白いし、NHKは時に骨太な特集組んでるし、光る君へも面白いし、ラヴィットは全盛期のいいともの風格があるし、有吉の壁と座王見てたら今のお笑いのすごいところが凝縮されとるし」と言いたいことはいくらでもあるのですが、それは反対に私が嫌いだと思っている人や物についても、いいところがいっぱいあるということでもある。
それはわかっているけれど、嫌いなものはもうどうしようもないのである。
と、いうことは。
あらゆる扉を分け隔てなく開けることができる態勢を整えておくためにも、なるべく何事も何者も嫌いにならないことが重要なのである、ということをたぶんこれまでにも何回も書いてきました。これまでこのテーマで書いたときも、私はきっと、なんとか嫌いを克服したいという思いを込めて書いてきたんだと思いますが、その都度克服されることはなく、ないが故に繰り返し書くことになり、今日もまたこれを書いており、おそらくまた克服されることはないのでしょうけど、それでも書いてしまうくらいには悩んでいるテーマではあるのですが、結局のところ、答えは一つで、既に書いていることなのですが、嫌いなものはもうどうしようもないのである。
#日記 #コラム #エッセイ
#涌井慎 #わくいまこと #こわくいとま
#暇書房
私の著書『1人目の客』や1人目の客Tシャツ、京都情報発信ZINE「京都のき」はウェブショップ「暇書房」にてお買い求めいただけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?