短編小説『地上への階段』
夏休みの思い出といえば、今年は懸賞に当たり、京都市内の高級ホテルに長男と一泊した。京都駅から徒歩圏内、東本願寺の隣にある高級ホテルだ。我が家も京都市内にあるから、他府県在住の人たちと比べても滅多に泊まるチャンスの無いホテルだし、貴重な機会であり、このうえない贅沢でもある。
夕方に仕事から帰宅し、荷造りをして出かけた。荷造りといっても京都市内から京都市内へ行くだけだからそんなたいそうな準備はいらないし、仮に忘れ物をしても取りに帰ればよいだけだ。二人して軽いバッグを片手に歩く。こうして二人で歩くのも随分と久しぶりな気がする。市営地下鉄の二条駅から地下鉄に乗り、烏丸御池で乗り換え、五条駅で下車する。京都駅から徒歩圏内だが、五条駅からは歩いてすぐだ。
前を歩く長男の背中の大きさに驚く。大きくなったと思ってはいたが、こうして家の外で眺めてみると、もう立派な大人ではないか。予定日より数ヶ月早く未熟児で産まれ、産後しばらくはNICUにいたあの子がこんなに大きくなったのか。声変わりをした声も俺と同じ27センチになった靴のサイズも、もうすっかり成年だ。少し生意気な口ごたえをするところなどは、まだまだ幼さがあるけれど。
改札を出て階段で地上へ向かう。コロナ前はよく家族で出掛け、こうして階段を上るときには、上りきったところで「さて何段だったでしょうか」とクイズを出して楽しんだものだ。俺が数えているときは長男は数えておらず、長男が数えているときは俺が数えていない。その攻防がいつも楽しかった。あれからまだ十年も経っていないのにすっかり頼もしくなったものだ。
一段飛ばしで走り上がる彼の背中が遠ざかる。俺はもう疲れてしまい、真ん中の踊り場に到着する頃には背中を追いかけるのをやめてしまった。
地上に出ると西日が眩しい。目を細めた俺の肩を叩き長男が言った。
「さて何段だったでしょうか」
蠱惑暇(こわくいとま)