エッセイ『ライク・ア・ジュリー』
今日は知人の結婚パーティー。三年前からお仕事をご一緒しているイラストレイターで漫画家の方のお祝いでございます。
シルバーウィーク初日だからなのか、もう一組、結婚パーティーのお誘いがあったのですが、残念ながら私の体は一つしかないのでお断りいたしました。
こういうときの受ける受けないの基準は、自分にとっても相手にとっても、わかりやすく、且つ、納得のいくものであることが重要です。
古くは三国志の時代、袁紹は後継を長男にすればいいものの、かわいがっていた三男だかなんだかに継がせようとした結果、世継ぎ問題に発展、やがて袁家は滅亡してしまいます。
これは、「家は長男が継ぐべし」という当時の当たり前の価値観を覆したもので、長男サイドからすれば到底納得できるものではありませんでした。いずれかを選ばなければならないという場面に居合わせたとき、僕は最大の悪手としていつもこの袁家のお家騒動を思い出します。袁家に限らず、古今東西、お家騒動の勃発には、その多くに「わかりにくく、納得しかねる」基準があると思います。
交友関係の広くない僕になんの因果か同じ日に結婚パーティーのお誘いがあり、どちらかを断らなければならない状況となりましたが、こういう場合、いちばんいいのは「早いもの順」です。この前提を崩してしまったら、あらゆる信頼がもろとも崩れ去ってしまう。
『戦場のメリークリスマス』のキャスティング、坂本龍一の役は本来、沢田研二だったそうですが、大島渚監督作品、稀代のスター・デビッドボウイとの共演、こんなビッグビジネスにもかかわらず、ジュリーは「ライブが決まっているから」という理由で断ったそうです。
こういう姿勢にファンは歓喜するし、一生ついていくで!と思わさせられるものです。このエピソード一つとってもジュリーのかっこよさがわかります。姿勢くらいは僕もライク・ア・ジュリーでありたい。
蠱惑暇(こわくいとま)