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先日、職場で仲間と二人、9月の台風で東海道新幹線が動かなかったときの話をしていた。私はちょうどあの日、東京へ行かねばならない用事があり、幸い青春18きっぷが余っていたので、まず、それで京都から名古屋まで行き、名古屋から特急しなのと特急あずさを使って長野県経由で東京へ向かったという話をしていたところだった。
「いやあ、僕もあのときは東京からこっちに帰れなくって」と、突然私たち二人の会話に入り込んできたのは同じ職場で働く私たち二人より立場が偉い人である。
私が苦労して東京へ行った話は脆くも崩れ去り、この偉い人が東京から帰ってこれなかった話にすり替わってしまった。この場にいる三人のうち、二人が誰もこの話を聞きたくないのに、である。
何か言葉尻を捕獲して自分の話に持っていこうとする連中のことを「話泥棒」という。
話泥棒たちの言葉尻の捕獲の仕方ときたら狡猾で獰猛で、いついかなるときも誰かの会話の言葉尻を狙い、自分の話にすり替えようと手ぐすねひいて待ち構えている。
とにかく誰の話よりも俺様の話は面白いんだからおまえら俺様の話を聞きなさいとばかりの横柄な態度で話を乗っ取る割にはその人の話は声が大きいだけで何も面白くない。
いや、ひょっとすると面白いのかもしれないが、無理矢理に話を強奪されたうえに無理矢理に聞かされる話なんぞ、誰が面白いと思って聞けようか。
他人同士、わいわい仲良く盛り上がっているところに水を差し、話泥棒をしたうえに自分で切り出した新しい話が何一つ面白くないということを全く自覚していないところがこの話泥棒の究極的に哀れなところである。
皆さんの周りにも話泥棒がいると思う。
話泥棒の特徴は、まず、己のことを省みないことである。立場が偉いため、誰からも真実を、つまり、「あなたの話は1ミリも面白くありませんよ」ということを知らせてもらえないのである。
そのうえ、「自分は面白い」と思っている。漫才や落語、映画などを鑑賞するのが趣味で、自分は笑いやエンターテイメントに対する感覚が人より研ぎ澄まされている、という錯覚に陥っている。当然のことながら、漫才落語映画が好きであるというだけでそれが=俺様面白いという風にはならないのであるが、当人はそうだと信じ込んでおり、そのことを誰からも否定されないがため修正をすることができない。
結果、俺様の話は面白くて、他の人の(素人の)話は面白くないのであるから、他人の他愛のない話を俺様が横取りするのはむしろ正義とさえ言える・・という程度には自分本位でなければ、あのような露骨で恥ずかしい話泥棒にはなれないはずなのである。
かくいう私も、いつ話泥棒になってしまわないとも限らないから、こんな風になってしまったら人間終わりである、ということをここに記すことにより、自らへの戒めとしたい。
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