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「一日仕事をしていました」を分解する

今日は何があったっけなー。と思い返してみるんですけど、「一日仕事をしていました」でまとめてしまえるのが悲しいところ。しかし、どうして悲しいのかといえば、それは「まとめてしまう」からであり、乱暴にまとめず、丁寧に思い返せば、一日生きてりゃあ、何かしら収穫があるものです。

今日は先輩に「涌井くんは、いつも読んでいて面白い文章を書くから、何か本格的に書いてみたりはしないの?」と聞かれたことが嬉しかった。書くことに自分なりに真剣に取り組んでから、こうしたお言葉をいただくことが増えました。私をよく知る人たちばかりですから「あいつは書いてるもんのことを褒めといたら喜びよるから簡単や」と思われているかもしれませんが、しかし、どう考えても、私をそうやっておだてることによるメリットが相手にはありませんので、多少大袈裟に言ってくれているかもしれないとはいえ、それなりに本心からおっしゃっていただいているのであろうと信じています。

気分の悪くなる出来事もありますが、一つ嬉しいことがあれば、そっちをこれでもかと引き延ばして引き延ばしていけばいいし、「なんでやねん」ということが起こったのなら、その腹立たしさは胸に秘めておいたら破裂してしまうようであれば、意図せずに垂れ流してしまうよりは、しかるべき場所へ己の意志で零すほうがより健全でしょう。心の中にある、うんこみたいな感情は、うんこみたいなのではなくて、本当にうんこなんです。漏らしたらあかん場所で漏らしてしまうくらいなら、便意を感じた時点で、トイレを探して、これでもかというくらいに出し切ってやればいいのです。周りにどれだけすぐに入り込めるトイレがあるか?って実はすごく大事なことだと思います。私は根がどうしても下品なので、品のない例え方をしてしまいましたけど、例え方に品がないだけで、真理であるとは思います。

ところで、さきほど妻に「明日のご予定は?」と聞かれたので「仕事ですよ」と答えたら「一日中?」と聞いてきたので「お昼頃には帰りたいと思ってるけど」と言うと、「長男が明日のお昼は久しぶりにマクドナルドが食べたいと言ってきたが、お父さんがお昼帰ってこないんやったらそれでもいいよと答えた」ということでした。それを聞いた長男がこちらを向いてニヤリと笑う。

帰ってきてほしくないんかい!

帰れなかったら一人でマクドナルド食うたろかな。

しかし今日は、さきほどのとは別の久しぶりに会う先輩に「涌井くん太った?シルエットが前までとちがう」と言われたので、マクドナルドを食うてる場合ではないのです。近頃は「そじ坊」でも「ざるそば3玉」が標準になってしまっており、拒食ならぬ巨食が生活において定番化してきていますから、気をつけねばなりません。

ほら、「一日中仕事をしていました」を分解していくと、こんなにいろんな出来事で構成されているのです。楽しいにしろ楽しくないにしろ、一つ一つを分解して言葉にして、書き残しておくというだけで、気付きがある。気持ちがおさまるところにおさまる気がする。言葉が必要ない人もいて、それはそれで羨ましいんですが、私は私で、こうやって言葉がないと生きていけません。であればこそ、こうして言葉と向き合っているわけで、依存しないようにしなくては!とは思うのですが、孤独に苛まれるくらいなら、言葉にくらい依存したっていいじゃない?と自分を納得させつつ、長男には悪いけど、やっぱり明日はちゃんとお昼には家に帰って、みんなで一緒にお昼ご飯を食べたいなーと思った次第です。


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