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圧倒的に本物な中華を食べた

令和3年3月25日の日記

横山光輝三国志の冒頭、庶民の劉備玄徳が母のために茶を買いに貿易船へ行くと売主が「茶が欲しい?君は茶のことを本当に知っているのかね?世間に出回ってる茶、あれは茶ではない。私が扱っているのは本物の茶なんだよ」と言うと劉備玄徳が「はい、その本物の茶を手に入れるため、私はこれまで金を貯めてまいりました。こちらで買える分をいただけませんか」といって金を差し出すと「ふむ、よく集めなさった。しかしこれは銀貨ばかりだからたいした価値はない。そんなにたくさん譲ってやれないけど構わないかね」「はい、これでいただける分だけで結構です」というようなやり取りがあり、高価な茶を手に入れる場面がある。

初めてこれを読んだのが私は小学4年生くらいの頃だったのだが、当時、なんとなく「本物偽物」ということについて考えたような気がする。本物がわかる人は認められてわからない人は弾かれる世界があるんだな、くらいのことを思っていた。同じ頃(だったと思う)「美味しんぼ」って漫画も流行っていて、海原雄山ってやつが(山岡もだけど)やたら「本物」にこだわるやつで、こだわりすぎるのも鬱陶しいな、とも思ってた気がするが、それは後年、そう思うようになっただけかもしれない。

なんにせよ、本物が分かるのは偉くて分からないのはアホ、みたいな空気はなんとなく掴んでいて、そのうえ、どちらかというと自分はアホ寄りであることも薄々感じながら生きてるんだけど、そんな私でも、圧倒的な本物に出会ったら、さすがにそれが本物であると理解ができるんだよな。

っていうことを再確認したのが今夜のこと。自宅から近いところにある「大鵬」という中華料理店で晩御飯をいただいたのだが、まさに本物とはこれのことかと感嘆したわけだ。
いろいろ頂いたが、最後に食した「具たっぷりの旨味を吸わせたあゆなれずしのチャーハン」なんて、もう空いた口が塞がらないから咀嚼できねーじゃんていうくらいに激しく美味かったから、ボブディランがあれに出会ってたら激しい雨の歌じゃなくて激しく美味い具たっぷりの旨味を吸わせたあゆなれずしのチャーハンのことを歌ってたと思うよ。その場合、「rain」の部分にめちゃくちゃ単語を入れこまないといけないからメロディは変わると思うけど。

本物の美味しさに触れたときってこんなに幸せな気持ちになれるんだね。これって食事に限ったことではなく、歌でも本でも映画でも、とにかくなんでも「本物」に触れたときって幸せなのだ。その幸せをちゃんと感じられるように審美眼を養っていくことが人生を豊かにするのだろうね。

「具たっぷりの旨味を吸わせたあゆなれずしのチャーハン」なんて創作料理の雰囲気があるから本物をわかる人はわかる人ゆえに「そんな中華、わしは認めん!」とか言って食わなかったりするのかもしれないけど、そうやって可能性を狭める「本物」って所詮は「偽物」なんだと思う。この手の本物きどりが実に多い。玉石混淆の世の中である。まがいものに気をつけないといけない。と思いつつも、圧倒的な本物に触れたら、そんな心配もないのかな、とも思う。

大変美味しゅうございました。


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