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この世をば

 まだ見ておりませんが、先週放送の「光る君へ」では、ついに道長があの有名な「この世をば」の歌を詠みましたね。前の週の予告にも出てきており、思わず「おお!」と唸ってしまうくらいには興味があります。

 しかし、Twitterには私程度の興味関心ではなく専門的に研究されている方がわんさかおられ、いろいろと考察を書き連ねておられます。こういう人たちに対して「悔しい」と思ってしまうのが私の悪い癖ですが、この「悔しい」という気持ちがあるからこそ、学びを忘れずに生きていられるのだとも思います。私も何かについて専門的知識を身につけてその知識をTwitterにひけらかしてみたい。

 さて。
 何年前か忘れましたが、(たぶんコロナ前だったはずなので5年前か6年前くらい)その年の11月23日のお月さまは、藤原道長が京の邸宅で、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んでから千年の満月でした。

 あ、ということはこの歌が詠まれた年を確認すれば今から何年前だったかがわかりますね。
資料によると、っていうか、私がその年に書いた日記によると、「望月の歌」は藤原実資の日記「小右記」の1018年(寛仁2)年10月16日の条に記されています。と、書いてあるので、1018年の千年後だから2018年。やっぱり今から6年前です。

 この日は道長にとって三人の娘が全員、后になることが決まった日で、オラオラだった自分のポジションを満月にたとえた歌とされています。新暦では11月にあたり、2018年11月の満月は23日に日付変わる頃だったらしい。

 道長はこの歌のおかげで、すっかり権力志向かつ、偉そうでイヤな奴っぽいイメージができあがっていますが、近年は「望月の歌」の新しい解釈が注目されてもいるそうです。※ここで言う「近年」とは2018年頃の「近年」です。
その新しい解釈を唱えているのは京都学園大学の山本淳子教授です。※2018年当時、京都学園大学教授だったようですが、今もまだ肩書きが同じかどうかはわかりません。

山本さんいわく、「この世」は「この夜」の掛詞で、「今夜はマンモスうれぴー」と、喜びの気持ちを詠んだのではないかというんですね。
歌が詠まれた10月16日は当時の暦では「望月(満月)」ではなく、藤原清輔の歌論書には、この歌とあわせて、献杯の様子が描写されていたりもするらしい。

「月」は天皇の后となった娘たちを暗喩していて、かつ、献杯の「盃」(さかずき・・さかづき・・さか月)が掛かってもいると。つまり、娘たちの結婚と協調的な場の雰囲気を詠んだのではないか・・という新解釈なのです。※しつこいですが2018年当時の新解釈です。いま、この解釈が研究者の皆さんの間でどう捉えられているかはわかりません。

 そういった諸々を踏まえつつ、山本教授は「望月の歌」をこんな風に当時、現代訳されていました。

「私は‪今夜の‬この世を、わが満足の時と感じるよ。欠けるはずの望月が、欠けていることもないと思うと。なぜなら、私の月とは后である娘たち、また皆と交わした盃だからだ。娘たちは三后を占め、盃は円い。どうだ、この望月たちは欠けておるまい」

 娘を思う父の心と詠めば、全く違った趣きがあります。

 さて。先週の「光る君へ」では、この望月の歌の場面をどんな風に描いていたんでしょうか。見るのが楽しみです。

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