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ここからは入れません
毎日これを書いているとどうしても似たような内容のことを繰り返し書いてしまうことがあり、申し訳ないと思う反面、申し訳ないなどと思うほどこれは注目されていないぞ、自意識過剰が過ぎるぞ、とも思う。かといって、以前書いたのと全く同じ内容のものを今日投稿したなら、さすがに誰かが気づいてくれるだろうし、そういう人が一人でもいるのであれば、似たようなことを書いてしまうのもいかがなものかとも思うのであるが、この身ひとつで生きておりますゆえ、昨日と今日の思想が百八十度変わるということもありませぬ。多少似通った内容になる場合があってもある程度はご容赦願いたいと思う次第であります。
さて。
そんなことを書いているうちに前には書いていなさそうな話題を思い出したのでそれについて書く。大きな括りとしてはこれまでにも幾度となく書いている「日本語」に関する話題です。
例えば長い行列のできているラーメン屋さんの最後尾あたりに並んでおり、順番待ちをしていたところ、私の少し前のところに立札が立てられ、「ここからは入れません」と書いてあったとしたら、どう捉えるか。
普通に考えたら、長い行列ができていますから、その立札の前の人の分までは用意できるけど、その後ろからは売り切れてしまうので、「この立札を立てた場所より後ろに並んでいる人はもうお店の中に入ることはできません」という意味なんだろうと思います。
しかし、ひょっとしたら行列がずいぶん長くなり、もう立札より後ろに並んでいる人たちをこの店舗で収容することはできませんが、二号店でしたらご案内いたします、というアナウンスなのかもしれない。また、この場所からはもう入店はできませんが、裏口に回っていただいたら入店可能です、ということかもしれません。
もう一つ、「入れません」をどう読むかという問題があります。「はいれません」か「いれません」かによって店側の態度がずいぶん変わってしまいます。「はいれません」の場合はお店側の「できれば皆さんに入店していただきたいのですがキャパシティやラーメンの残量のことを考慮するととうこれ以上は入っていただくことができません」という、「やむを得なさ」がありますが、「いれません」の場合、どういう理由かまではわかりませんが、お店側が「いれたくないからいれない」という意志を感じます。これ以上入店させると接客の質が担保できないということなのか、なんにせよ、お店側の強い意志がそこにはあります。
「はいれません」は「いれません」よりもお店側の意志をちょっと見えにくくしていて、その分、やわらかい表現になっているように思います。日本のお店の接客は(海外のお店のことは知りませんが)基本的にはとても丁寧なので、「ここからは入れません」と書いてあったら客側の多くは「はいれません」と読む気がしますが、「いれません」と読んじゃうと、捉えようによってはちょっと高圧的で悪い感じがしなくもないですよね。
そうなると、お店側としては変に誤解を生まぬよう、「この立札より後ろにお並びいただいている皆様方におかれましては大変申し訳ないことなのでございますが、ご入店いただくことができかねますこと、誠に恐縮ではありますが、ご理解いただきますよう、何卒よろしくお願い申し上げます」くらいのことを書かないといけないのかもしれません。
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すけきよのつもりです
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