ダニングクルーガー効果の曲線
誹謗中傷炎上騒ぎにデマ拡散と近頃のSNSには悪いことしかないかのようですが、一日に何個かは役に立ちそうな情報も混ざっており、その点のみを見つめていれば有益でしかありません。恋は盲目といいますが、あれは相手の有益な部分しか見えていない状態のことを言うのでしょう。
そんなSNSのお役立ち風情報は画像を保存したりノートにメモしておいたりするのですが、先日メモした情報に「ダニングクルーガー効果の曲線」というものがありました。
これは縦軸が「自信」で横軸が「知識・経験」になっている曲線グラフです。
このグラフではまず、まだまだ「知識・経験」が浅い段階の「自信」が最も高くなっており、この最高値の部分を「馬鹿の山」と呼ぶらしい。
いわく「馬鹿の山」では、「多少の知識や経験を得て、自信に満ち溢れている」のだそうです。
しかし「馬鹿の山」を越えると自信は急降下し、あっという間に底をつきます。この底の部分を「絶望の谷」と呼び、「知識や経験の深さに気付き、自信を失っている状態」という説明があります。
この「絶望の谷」を越えると少しずつグラフは上を向いてゆき、その途上に「少しずつ知識と経験を積み上げ、自信を持ち始める」という「啓蒙の坂」があり、やがてそれは「成熟して正確な自己評価が行えるようになる」という「継続の大地」へとたどり着くというわけです。
これをなぜ「ダニングクルーガー効果の曲線」と呼ぶのかまではメモしていないのでわかりませんし、SNSに置いてあっただけのことなので、実際にこういう曲線が本当に存在するのかも定かではありません。これを投稿した人の創作かもしれませんけど、そうだとしても、実によくできた曲線であるなと感心しました。
私たち、というと主語が大きいと言われるのであれば、少なくとも私はちょっと油断すると「馬鹿の山」で気持ちよくなりがちで、その後の「絶望の谷」が怖いがためにその山が馬鹿だと知っていながらそこから降りたがらない傾向にあるのですが、齢四十四となったこれまでの人生において、このことについては「ダニングクルーガー効果の曲線」のことは知らずとも、私なりに考え続けてきたので、この「馬鹿の山」に居座り続けることがどれほど恐ろしいことかはわかっているつもりでして、つまり、恐ろしいというのは、「馬鹿の山」なんぞにいつまでも留まり続けていたら、身の回りの「啓蒙の坂」や「継続の大地」を歩んでいる人たちから相手にされなくなるばかりか、相手にされなくなっていることにさえ気付かないまま、ただただ浅くて薄い知識や経験をその人たちに自慢し続ける、という書いているだけで恥ずかしいことこのうえない状態から抜け出せないことに満足してしまうという、どうしようもない人間になってしまうのが恐ろしいわけでして。
その恐ろしさに気づけたらどれだけ苦しかろうが、一度「絶望の谷」へと落ち込んでいくことになんの躊躇いもなくなるものなのですが、いかんせん「馬鹿の山」はすこぶる居心地がよいので一念発起しなければなかなか下りることはできません。
いま振り返ってみれば、「あ、あのとき俺、馬鹿の山を下りたよな」という瞬間もあったし、「いまの俺、絶望の谷やん」という期間のことも覚えております。ここ数年はずっと「啓蒙の坂」を登り続けているのですが、ずっと登り続けているということそれ自体が「継続の大地」に足を踏み入れているということなのかもしれません。
こんな偉そうなことを書いているところをみると、しかし私はまだ実は「馬鹿の山」に居座っているのかもしれない。
「馬鹿の山」は「多少の知識や経験を得て、自信に満ち溢れている」状態です。こういうおっさん、いますよね。自分がそういうおっさんに知らずうちになってしまっている、なんてことがあるとしたら恐ろしくて仕方がありません。何度も同じことを書いてしまうくらい、本当に嫌だから、なんとか歯を食いしばって「啓蒙の坂」を登り続けていきたいものです。
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