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短編ポテトチップス小説1:うすしお
はじめてのキスの味がどうだとか、幼い頃にテレビで話している人がいて、それがバラエティ番組だったのか、ドラマだったのか、コマーシャルのなかでだったのか、はたまたアニメだったのか、なんにも覚えていないのだけど、いちごの味とかレモンの味とか、そんな答えだったと記憶していて、今にして思えばそれは、夏祭りでかき氷を食べたあとにキスをしたからなのではないかと思う。ブルーハワイの味と答えた人はいなかったけど。
あたしの場合は大学一年生の頃のことで、関西では年生のことを回生と言ったりするんだけど、関西以外の人のなかには「回生」の言い方をすると露骨に嫌な顔をする人がいるので、誰が読むかわからないし、あえて年生と書いているんだけど、だからあたしは関西の大学に行っていました。
あ、こうやって最初話したかったことが話し終わらない前から一文を終わっちゃうと不機嫌になる人もいたな〜っていう記憶もあるんだけど、その人がどんな人だったかは忘れちゃった。なんかいつもカリカリ怒っている人だった。怒りって面白さの要因の一つだと思うんだけど、その人は怒りを面白さに昇華させられてなくて、あんな具合だとストレスが溜まっていく一方なんだろうなって気の毒に思ってたことまで覚えてるっていうか思い出せてるのに誰だったか全く思い出せない。
コロナの間に一度、横断歩道ですれ違いざま、「めっちゃ久しぶりやん!オレオレ!」と話しかけてきた男に「あー!ほんまや!マスクしてるし全然気づかへんかったわー!」と返したものの、誰だったか未だに思い出せていないことを思い出した。まさかオレオレ詐欺ではなかったとは思うんだけど。
例えば、いつ誰とどんなセックスをしただとか、そういうことを逐一覚えている人生じゃなくてよかったと思っている。「回生」を露骨に嫌がる男も、何かにいつも怒っている男も、横断歩道ですれ違った男も、ひょっとしたらあたしとセックスをした相手だったかもしれないんだけど、そのことを懐かしんでいたりするなら気持ち悪い。限りある脳みその容量を思い出が食っているなんて馬鹿らしい。都知事選に立候補している五十数名のバックグラウンドを全部記憶しているほうがまだマシだ。
それでもどうしても忘れられないこともある。イエローモンキーの吉井和哉に憧れていたその先輩はあたしがイエモンっていうのを嗜め、略すならモンキーにしなよって言っていたのも何故かずっと覚えていて、だから今でもイエローモンキーのことはイエモンって言わないようにしてるんだけど、その先輩の下宿先にはじめて行ったとき、正直あたしは多分今夜、あたしたちの背中に羽が生えてきて夜はスウィートなんだろうなって、彼もあたしもロックスターでもなんでもないけど、そんなことが脳裏に浮かぶくらいはもう、あたしもイエローモンキーが好きだったりしました。
吉井和哉には似ても似つかない、先輩だけど童顔であたしのほうが年上に見られそうな、高校球児って言われても違和感がない、あまり悪いことも知らなさそうなつぶらな瞳で、ニキビには潤いというか勢いがあり、ぎゅっと潰したら黄色い膿がピュッと飛び出ちゃいそうな人だったのに、アコースティックギターを爪弾きながら「がんばっちゃうもんねー」と一生懸命に歌う様は、吉井和哉のそれよりも本腰でがんばってくれそうな気はしていました。
夜は晩御飯を食べるのがあたしにとっては当たり前のことだったんだけど、彼はそれをせず、あたしがお腹空いたというと、カルビーのポテトチップスのうすしお味を差し出し、これで乾杯しようだなんて、何の罪も知らなさそうな無邪気な瞳で言ってきたから、まあ、今日一日くらいはそれでもいいかなって納得したかどうかなんて、そこまであの日の記憶が鮮やかではないんだけど、缶チューハイで乾杯して二人で一緒にうすしお味のポテトチップスを食べていました。
あたしはうすしおを食べたあとのぬらぬらした指をなめるのが好きで、それはたぶん、糠漬けが漬けた人の味になるのと同じで、あたしの指があたしの塩味になっており、その「あたしの塩味」が好きで好きで仕方なく、でもあたしはそれが好きであることがはしたないことだと思っているから人前では絶対にそれをしなかったんだけど、先輩はそんなあたしの前でなんの恥じらいもなく、バサッと一掴みしたものを全部食べ終えるやいなや、「先輩の塩味」をちゅろちゅろとなめ上げ、その指でもう一度、アコースティックギターを爪弾き、今度はあたしの目を見て「がんばっちゃうもんねー」と歌ってくれた。その瞳、意外とこれまでいろんな悪さをしているんだねっていう悪意を込めて見つめ返したあたしの唇に先輩が唇を重ねてすぐに舌を入れてきた。だからあたしのはじめてのキスは、ポテトチップス「先輩の塩味」だった。案外、ロマンティストテイストだった。
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