ナイルが「死んだ」
今日の「京都新聞」に
京都市動物園のライオン
「ナイル」の
追悼企画のことが
掲載されていました。
冒頭を引用します。
「京都市動物園は、先月31日に25歳10ヶ月で死んだ国内最高齢のライオン「ナイル」をしのぶ追悼企画を開く。」
追悼企画については
動物園のホームページなどで
ご確認いただくとして、
私が気になったのは冒頭の記事の
「10か月で死んだ
国内最高齢のライオン・ナイルを」
の「死んだ」という表現です。
事実を伝えているのですが、
なんだか、素っ気ない感じ
(あるいは生々しすぎる?)がして、
違和感を覚えました。
だからといって、
「亡くなりました」では
人間のことを言っているようで、
これも違和感があります。
こういう時は『広辞苑』を使います。
まず、
「亡くなる」を引くと、
「人が死ぬことを婉曲にいう語」
とあります。やはり、
「亡くなる」は「人」にしか、
使わない言葉のようです。
「死亡」を引いてみても、
「人が死ぬこと」と書いています。
では「死ぬ」はというと、
「生命を失う。息が絶える」と
あります。
こちらは「人が」というような
ことわりは入れられていません。
つまり、
「死んだ」
「死亡した」
「亡くなった」の中で、
動物に使えるのは
「死んだ」だけなんですね。
故に「京都新聞」も
「死んだ」と表現しているわけですが
ナイルはとてもとても人間に
愛された動物で、
人間との距離が近いため、
気持ちとしては
「亡くなった」を使いたいけど、
まぎれもなく動物だから、
仕方なしに「死んだ」を使っている、
その「仕方なし」の部分が
違和感を放出しているのだろうと
考えられます。
この違和感を払拭するには、
例えば、
「息を引き取りました」
「天寿をまっとうしました」
「天国へ旅立ちました」など、
遠回しな表現をするのが
よいのではないかと思います。
ナイルに限らず、
家で飼っているワンちゃんや
ネコちゃんなんかの場合も、
慈しんでいればいるほど、
「死んだ」なんていう言葉では
片付けられなくなるでしょう。
家族のようにペットに接する人も
最近は多いようですから、
近い未来にペットが
「亡くなる」ことについて、
違和感を覚えなくなる
かもしれませんね。