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7月24日の新聞1面のコラムたち
涌井慎です。趣味は新聞1面のコラムを読むことです。昨日の読売新聞『編集手帳』には、日本の詩歌に通じたことで知られるアメリカ人、ジャック・スタムちゃんの俳句が一句、紹介されていました。
ひらがなでおいしくみえる鰻かな
鰻という漢字にも、あの甘だれを全身に浴びたてらてらと輝くギザギザの鰻の雰囲気がよく出ているように思いますが、確かに「うなぎ」と平仮名に開いてみると、特に「う」の字には、あの鰻のうねうねぴちぴちした感じがよく表れていて「う」は鰻を表していたんじゃないかとさえ思いますが、確か「う」は元々「宇」だったんじゃなかったかしら。うなぎの「う」は宇宙の「う」です。安いの「う」ならよかったのに。今年も鰻は食べられず。しかし今年は(も?)もう一回、夏の土用の丑の日が来るからね。
昨日の京都新聞『凡語』には、近代まで口承だけだったアイヌの神話をアイヌ自身の手で初めて記録した知里幸恵ちゃんのことが書かれています。今年没後100年だそうです。登別に生まれ、15歳の時、言語学者の金田一京介ちゃんと出会い、アイヌ語の貴重さに気付いたと『凡語』に書かれています。アイヌ語も貴重、日本語も貴重、ハングルもウチナーグチもウイグル語も北京語もタミル語も、この世界に存在するありとあらゆる言語は貴重です。アイヌ語を使う人たちが、日本語使用や生業転換を巡る同化政策により、差別や偏見にさらされていたことを見聞きするたび、深い憤りを感じます。
漫画でアイヌ文化に興味を持つのは、浅はかだとか、あんなものはフィクションだとか、いろいろ言う人もいますけど、『ゴールデンカムイ』を読んでもっとアイヌのことについて知りたくなりましたし、萱野茂ちゃんの文章はアイヌを知るきっかけになりました。アイヌ語の勉強もしたい。とりあえず、あの小さい「プ」はスマホでどうやって出せばいいのかしら。
思えば去年の東京オリンピックは「多様性と調和」を掲げていました。同化政策とは真逆のベクトルへ歩もうとするスローガンですが、あれから1年、果たして私たちの意識は何か変わったのだろうか、と問うているのが昨日の朝日新聞『天声人語』。大橋弘枝ちゃんという、生まれたときから耳が聞こえない、ダンサーであり、俳優であり、演劇の制作者でもある方が制作した「地図を持たないワタシ」という体験型ゲームの簡単な体験レポートのあとに、東京オリンピックの掲げた「多様性と調和」について問いかけています。「地図を持たないワタシ」は、東京・竹芝の「対話の森」で開かれていて、聞こえない人、見えない人、車イスの人、性的少数者。社会のマイノリティーと呼ばれる人とともに宇宙船で旅をするという設定のゲームなんだそうです。予約して料金を払えば誰でも参加でき、90分間、初めて出会ったほかの参加者たちと対話しながら、課題を解いていくゲーム。唯一のルールが「参加者の誰一人としてとり残された気持ちにしてはいけない」というもので、筆者の方は「うまくできたか自信はない」と言いますが、大橋ちゃんいわく「そもそも答えはないんです。みんな同じが当たり前か、考えるヒントになれば」と話しています。「みんな同じ」が当たり前ではないのは、1面コラムでしばしば、朝日新聞と産経新聞が思想の違いからケンカしているのを見てもよくわかります。
昨日の産経新聞『産経抄』はというと、昭和の東京オリンピックから100年後の世界を舞台にした星新一ちゃんの小説の一節が紹介されていました。夫「オリンピックでも見に行くか」。妻「ええ。東欧の国?」。夫「それは去年だ」。世界が平和のうちに発展を遂げて、オリンピック招致は引く手あまた。毎年開催になった世界が描かれていますが、現実は星ちゃんの想像した世界とは随分変わってしまいました。金がかかり過ぎるから、どこもかしこも「オリンピックは結構です」と言い出す始末。「うちがやります」「じゃあ、うちもやります」「それならオレたちも」「ワタシも!」最後に手を挙げ「じゃあウチも」と立候補したウエシマ国に皆で「どうぞどうぞ」なんていう定番のギャグがもう聞かれなくなった悲しい世界を生きています。
星新一ちゃんよりもっと前に活躍した森鷗外ちゃんの史伝『渋江抽斎』について書いていたのは毎日新聞『余録』です。なんでも、その『渋江抽斎』の直筆原稿の一部が発見されたそうで。「森鷗外記念館」が公表したわけですが、しかし、森ちゃんも、没後に直筆の原稿がこんなに話題になるとは思いもよらなかったでしょうね。死んでからも、いつ掘り返されて話題になるかしれないから、僕も原稿は綺麗な字で誤字なくちゃんと書いておこう、なんていう自意識過剰な男の書くものは、しかし、生きているうちも死んでからも箸にも棒にもかからないものなんでしょうね。森ちゃんに限らず、亡くなった方たちの手紙やら原稿やらが見つかったったいうニュースを見聞きするたびに、有名人は大変だな〜と思う次第。しかし不思議と、自分もその程度には有名になりたいものだと憧れたりもするのです。
昨日は小説家がやたら出てきます。日経新聞『春秋』には1989年に亡くなった小説家、開高健ちゃんのルポについて書かれていました。ある夏、各地でレジャーの現場を訪ね歩き、3ヶ月にわたって週刊誌に掲載した見聞記についてです。神奈川県の湘南海岸については「湘南海岸は黄金海岸だ」と書いているそうです。駅を出るまではおとなしい青年たちも、海を見るとわあったはじけ、その様は「フライパンで豆がはぜているみたい」と地元の警官が話していたということですが、地元の警官、うまいこと言うな〜と感心します。夏が来ました。私もこんなチマチマと新聞の1面コラムを読み比べて誰が読むともしれないブログを書き綴っているくらいなら、大好きなサザンゆかりの湘南海岸に旅をしてフライパンの豆みたいにはぜてみたい。
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