水俣京都展
一昨日に続いて昨日も左京区岡崎へ。これはぜっっっっったいに見逃したらあかんやつ!と思ってたくせに会期最終日になってしもた。水俣京都展です。いつまでもあると思うな親と金と展覧会。
コロナ禍に『苦海浄土』と『チッソは私であった』を読み、これは水俣に限った問題ではなく現代社会が抱える構造の問題やないのか、と思った。水俣病にまつわる不条理は現代社会の不条理そのものであり、それは本展入口付近の展示に記されていた「最大多数の最大幸福の追求が少数者への苛烈な抑圧を生み出しています」ということであるらしい。
泣けて泣けてたまらんかったわ。是非見てください!って言いたいけどもう終わってしまいました。
本当は一昨日、『巨匠たちの学び舎』を観たあとその足で行くほうが効率的やったんですが、展覧会は意外と疲れる。映画一本観たくらいの感じで疲れてしまったので、水俣京都展は絶対このコンディションで観るやつじゃない!という判断のもと、一日ずらしたんですが正解でした。