7月30日の新聞1面のコラムたち
涌井慎です。趣味は新聞1面のコラムを読むことです。読売新聞『編集手帳』は子供たちの理科離れの理由について書いていました。生物学者の福岡伸一ちゃんが絵本作家のかこさとしちゃんとの対談で「私から見ると、理由は明々白々です。大人たち自身が「理科離れ」しているからです。ゴキブリやクモを見たらすぐに叩き潰したり・・大人が自然に関心を示せば気づくはずなのです。そこに精妙さや美しさやデザインの奇抜さがあることに」。私なんかはゴキブリのどこに精妙さや美しさやデザインの奇抜さがあるのかわかりませんが、しかし、蜘蛛の巣がうまいこと設計されていたりするのはわかります。今、大人気の漫画『チ。-地球の運動について-』の1巻でも、天動説における天体の動きの美しさについて語るくだりがあったと思います。雪の結晶も綺麗ですよね。自然のものが数学的に美しく配置されてるのってすごく不思議なんですが、あれを美しい配置であると認識させてくれた先人たちの知恵には頭が下がる思いです。いっぽうで、オレたちがどう足掻いてもがいてみたところで所詮、自然は美しくデザインされたままなんやなーと思ったりもする。どこぞの科学者さんが言っていた「環境破壊なんて地球は何とも思っていない。困るのは地球じゃなくて人間なんだ」って言葉を思い出しました。
そんな自然や科学の話とは相いれなさそうな都市伝説のことを書いていたのが京都新聞『凡語』です。「私、きれい?」と聞いてくる「口裂け女」の話です。きれいだと答えると「これでも?」とマスクを取って恐ろしい顔を見せる口裂け女の都市伝説は、1978年から79年にかけて全国に広まったそうですが、マスク生活を余儀なくされている昨今、ひょっとすると、口裂け女伝説がリバイバルするかもしれません。マスクをしていない姿を思い出しにくくなっている知り合いとか、いますからね。そういえば、マスクで口元が覆い隠されている今を機に美容整形する方も多いと聞きます。もうマスク生活3年目?ですから、コロナ前の顔と多少変わっていてもわからないでしょうね。私なんか、割と対面でよく話す好きな人が髪を切っていてもわからないくらいですから、顔が変わっていても絶対にわからないでしょうね。でも、それは、わからないほうがいいのでしょうか。わかったほうがいいのでしょうか。
わかったような、わからないような、それは本当にわかったことになるのか?というような。歴史資料なんて、そんなものだらけなのではないでしょうか。朝日新聞『天声人語』には、歴史教科書でおなじみの国宝「金印」を、製作当時の技法で復元する試みが成功したとありました。「金印」は、紀元57年、倭の奴国が後漢の洛陽へ使者を送った際、光武帝から受け取ったとされる印です。「漢倭奴国王」って彫られてるやつ。製作当時の技法といっても、製作当時とは気候も違うでしょうし、材料もまったく同じというわけにもいかないでしょうし、そもそも、それが確実に製作当時の技法であるということは証明されようがないわけですし、しかし、私はそういうことに一生懸命に打ち込む人たちのことが凛々しく見えて仕方がないのです。ある人から見れば「なぜにそんな無駄なことを」と思うかもしれませんが、その無駄を楽しめて、あろうことか、その無駄により過去と未来を繋げようとするなんて!私、なんの縁もゆかりもございませんが、「九州鋳金研究会」のことを心より応援いたします。
過去と未来を繋ぐものの一つに中国由来の故事成語や儒教など古典を出典とする言葉があります。「玩火自焚」と言われても、あまりピンときませんが、毎日新聞『余録』によれば、中国の習近平ちゃんがアメリカのバイデンちゃんとの電話協議の最中にこの言葉を使ったそうです。「火遊びをすれば自ら焼け死ぬ」とは、なんとも恐ろしい言葉です。どうやら台湾問題でバイデンちゃんに警告する狙いがあったようですが、なかなか刺激的な言葉です。中国は、このくらいの言葉は外交のうえでよく使うそうですから、さほど気にするものでもない、というのが大方の見方のようですが、それなら、そんな恐ろしい言葉は使わないでほしい。『余録』いわく「不必要な言葉で摩擦を高めては誰の得にもならない」。『余録』ならぬ「余談」なんですが、私、「摩擦」という言葉を見聞きするたびに「ホントは気持ちがいいはずなんだけどなー」と思います。お互いが気持ちよく絶頂を迎えられるような摩擦に持っていけないものでしょうか。
外交といえば、安倍ちゃんは世界各国にとって実に影響力の大きな方だったんですね。産経新聞『産経抄』には、生前の安倍ちゃんの外交における功績が並んでおりました。あれだけ世界的にも英雄視される人物の追悼演説が、先送りになるとは如何なものかとなかなかお怒りのご様子です。勉強不足の私は、森友問題加計問題、さらには桜を見る会など、お金にまつわる問題は未解決のままで、国会答弁では虚偽を連発していた人という印象が強かったものですから、つくづく人というものは、見る位置によって見え方が変わるものなのだなーと思います。安倍ちゃんに限らず、確かに「あんなに仕事ができないどころか、対外的にも上から目線で失礼極まりないことしかせず、なんの実績もないくせにどういうわけか、いつも偉そうにしているアホ」としか思えない人が、いっぽうで愛妻家で知られているとかいうことはよくありますからね。一方向から見て人を判断するのは、よくないですね。反省。
とはいえ、偉い人に対して「シンパシー」や「エンパシー」を感じすぎるのも考えものです。あの人たちも頑張ってるんだから・・なんて思ってしまったら偉い人たちの思うツボ。わたしゃ騙されないよ!という強い気持ちも大事です。最近の偉い人は、私たちに「お願い」してばかりです。手洗い、換気の徹底、マスク着用、ワクチン接種、そのうえ節電のお願いもきました。日経新聞『春秋』のシメの言葉がよかった。「命を脅かす危機なのに「お願い」?それって政策なのですか。」
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