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猫の短編小説2 牛の抜け駆けを阻止せよ

牛が抜け駆けをするつもりらしい。昔から、なんとなく牛とは合わないと思っていたが、抜け駆けのようなことを平気でやれてしまう下品さがどうにも受け入れられないのだろう。一回飲み込んだ餌をもう一回戻して咀嚼してまた飲み込んでを繰り返すのも、実は好きではないがそれは言ってはいけないことだと思っている。抜け駆けすることを知ったからには、さらにそれを出し抜いてやるという手もあるが、そのような下品さが下敷きになっている戦いを私は好まない。もともと争い事の類は好きではないので、今回の競争にも興味はないのだ。お偉いさんの決めたルールに従ってゴールに向かい、到着した順にご褒美があるのだと聞いているが、そうやって敷かれたレールに乗っかることを、いかに避けて自由に生きるか、それこそが我々猫の守るべき矜持なのだ。

このようにして、自らに課した制約のもと、窮屈なところに身を置いてまで自由を求める猫の生き方について、ある人は青臭いと言い、ある人は愚かだと言う。それでもある種の人間からは憧れをもって受け入れられるらしく、フランス人が犬より猫を好むのも、そういった猫の気質がフランス人のそれと似ているからなのかもしれない。

さて、牛の抜け駆けは許したくないが、かといって自分はそのレールに乗っかりたくはない。ならば誰かに代わりをお願いするしかあるまい。実はこの猫には、猫のくせに珍しく、鼠の友達がいて、その鼠も今回の競争に参加することになっている。鼠ならすばしこいし、小柄だし、牛に見つからずに見事牛を出し抜くことができるだろう。猫はさっそく鼠に会いにいくことにしたが、鼠に会う前には必ず大量の魚を食っておかなければならない。お腹の中にもう何も入らないというくらい、お腹を満たしておかないと、心の友とさえ思っている鼠なのに、食料にしか見えなくなってしまうのだ。猫はかつての失敗を思い出し、暗い気持ちになったが、それを振り払うかのように魚をあるだけ食いまくった。

食欲さえ抑えれば、鼠のことは大好きだ。いや、どちらにせよ大好きなのだが。思い立ったらすぐ行動に移すところなんかは、ひょっとしたら猫なんじゃないかとも思うが、そのくせ将来のことをしっかり考える計画性もある。なんというか、引き算でものを考えられるのだ。そういうところは尊敬に値する。自分には無い発想を持つという意味では牛も鼠も同じだが、それが美しいか美しくないか、それが肝心なのだ。

丸々と肥えた脂身たっぷりの魚を八尾平らげたので、鼠のことはちゃんと親友に見えている。親友に見えているうちに簡潔に要件を伝えると、鼠は牛を出し抜くことを快諾してくれた。

「牛のやつは図体がでかいからかわからんけど、皮膚感覚が鈍いからな。背中に乗っかっていって、最後、ゴール前に飛び降りて先にゴールしてやるよ」

「それなら上手くいきそうやね。自分のやりたくないことを君にやらせるのは申し訳ないのやけど」

「構わんよ。僕だってどうせなら一番になりたいと思ってたからね。でも君はどうするんだい」

「私はこういうレースには正直興味がなくてね。日程を一日間違えていたことにでもしておくよ」

「それなら僕が嘘の日程を教えたことにすればいい。そうすれば君は愚かなのではなく、哀れなのだと思ってもらえる。今回のレースはお釈迦様っていう偉い人が発案したみたいやけど、僕に騙されたってわかったら、君にも何かしらお情けが出るかもしれない」

「でもそうすると逆に騙した君に罰が当たったりしないのかな」

「いや、僕もあんまり詳しくはないんやけど、お釈迦様も昔、困ってる人を助けるために嘘を付いたことがあるらしいから、その辺はわかってくれるんやないかな」

どういうわけか、鼠は物をよく知っているし、それをひけらかすことをせず、あまり詳しくないなどと断りながら話すのも好感が持てる。できればずっとここに居たいのだけれど、これ以上の長居は危険だ。要件を伝えた私は鼠と別れた。一点、鼠のことで気になるのは、時折、別れ際に見せる冷たい態度なのだが、鼠にしてみれば、いつ食われるかわからない緊張感があり、私が帰ると同時にその緊張感から解き放たれる。あの冷たい態度は鼠がスイッチを切ったその一瞬の安堵からくるものなのだろう。友人として接してはいるものの、いつもスイッチを押したうえで私と付き合っているにすぎないのだ。

レースの当日のことは詳しく書かなくてもよいだろう。計画通り、牛がゴールする直前に鼠は飛び降りて一番をかっさらった。牛は二番、その後は虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が続いた。

レースに参加できなかった私を哀れんだお釈迦様は、私に別のlifeをいくつか授けてやろうと言った。有難いお話だ。別のlifeでは大切な誰かとスイッチの要らない関係があればいいなと思う。

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