エッセイ『俳句沼』
趣味は新聞一面のコラムを読むことです。
読売新聞『編集手帳』に歌人の佐々木幸綱さんの歌が載っていました。
ジャージーの汗滲むボール横抱きに吾駆けぬけよ吾の男よ
「ラグビーをこう歌った」と書いていなければ恥ずかしながらこれがラグビーを歌ったものとはわかりませんでした。わかりやすく書けば「説明じみていて面白みに欠ける」ことになってしまうし、あまりにも詩的にすぎると「何のことなのかさっぱりわからない」ことになってしまうから、短歌や俳句というのは実に難しい。
わからなさということでいうと、俳句の五七五の真ん中の七を一字多い八字にしてしまう「中八」というのがありまして、これは全体的にバランスが悪くなるため避けるべし、ということなんですが、私が初心者だからそう思うのか、その「中八」がそんなにバランスが悪いと感じないことが多く、むしろ「中八」であるがゆえにリズムもよくなってると感じることさえあるんですが、中八であるがゆえに減点対象となってしまうことがあり、難しいものです。
俳句初心者の先輩と初心者同士で話していたら、先輩も中八については、むしろ、このほうがリズムがよいと感じていて、何文字かを数えずにいたら、中八を指摘され、嘘やん、ええ感じのリズムやったのに、どれどれ・・・ほんまや、八文字あるやんけ。ということがけっこうあるらしい。私もまさにそういうことがよくあるわけで、これは俳句初心者だからそうなのか、事実、中八は意外とリズムが悪くないのか。たぶん、リズムが悪くない中八もあるんですよね。もしくは私も先輩もリズム感が壊滅的であるか。
中八に気づいて、推敲のうえ、違う表現で五七五に仕上げてみたら、あ、やっぱりこっちのがしっくりくるわい、という場合と、これはあかん、元の中八のがええやん、という場合、どちらもあって、やっぱり俳句って面白いなと少しずつ沼にはまっている私です。