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親の気持ち
人の親になってみて子にたらふく飯を食わせてやることの喜びを知りました。
自分の作ったカレーライスをおかわりしてくれるときなんかは涙が出そうになります。
はま寿司にタワーのように積み重なる皿を眺めて誇らしい気持ちになります。
今日は家に帰ったら次男が部屋で唐揚げごはんを食べていました。お米のうえに自分で解凍した唐揚げを二つ乗せていました。小学四年生でもう解凍なんていう技を覚えたんだね、という喜びと、飯を食わせてやってる喜びとがダブルで僕に突き刺さってきました。
嬉しくて仕方ないんだけれど、でも近頃はこんな風にして子らに満足いくまで飯を食わせてやれるのはいつまでなのかと不安になります。
米が不足しているのもありますし、最近怖いのは、僕が子供の頃よりも戦争の足音が大きくなっているような気がするんです。
僕が子供の頃はトランプのゲームで「戦争」ってやつがありまして、家族みんなでわいわい遊んでいたものですが、いまの時代、とてもじゃないけど「戦争」なんていうゲームで遊ぶ気にはなれません。
「このプロジェクトの核となるのは」の「核」も嫌だし、「飯テロ」とか「ゲリラ豪雨」とかも自分では使わないようにしています。気分が重たくなるんです。「核」とか「テロ」とか「ゲリラ」とか、ほんの十年前まではなんら違和感なく使っていたと思うのですが、いまは難しいです。
「お腹が空いたから作っちゃった」と次男は少し恥ずかしそうに唐揚げの乗ったご飯を隠しました。その仕草がものすごく愛おしかったのですが、戦火に見舞われ、その空腹を満たすことができない日がやってきてしまったとき、この子は逞しく生きていくことができるだろうか、と、そんなことが頭をよぎってしまうことに僕は悲しくなってしまい、晩御飯はいつもより肉と野菜たっぷりの特大焼きうどんを作ってやりました。
遠ざかれ、戦争の足音。
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