7月23日の新聞1面コラムたち
涌井慎です。趣味は新聞1面のコラムを読むことです。昨日の読売新聞『編集手帳』に柳田国男と島崎藤村の逸話が載っていました。お友達同士だった国男ちゃんと藤村ちゃんですが、国男ちゃんが貴族院の書記官長をしていた時、藤村ちゃんが「なあなあ、国男くん、君の力で僕の肉親を公務にかかわる仕事に加えてくれへんかな?」というようなことを頼んできたのを、国男ちゃんは「役人にとってこれ位侮辱はない」と後に回想したそうです。国男ちゃんといえば、民俗学者でどちらかというと、全国各地渡り歩いて浮世離れした研究に打ち込んでるイメージやったので貴族院書記官長をしていたことに無知な私は驚いたんですが、藤村ちゃんのお願いにゲキオコして言下に断ったっていうのは「らしい」感じがしますね。現代に国男ちゃんみたいに骨のある偉い人ってどのくらいいるんでしょうね。とにかく身内に甘い人ばかりっていうイメージですが、これも「偏見」でしょうか。
同じく昨日、京都新聞の『凡語』を読んで、世間知らずの私は気付いたんですが、東京オリンピックの開会式からジャスト1年経ったんですね。もう、私の世間知らずときたら、国男ちゃんのイメージを遥かに凌駕しています。開会式にかかわる人物が次から次へと消されていったのがもう1年前!ピクトグラムで盛り上がった開会式の日は、確か渡辺美里さんが大阪でライブをしていたはずです。私はそのライブには行ってないのですが、秋に渡辺美里さんの特番を担当することになり、「そういえば開会式の日は大阪でライブでしたよね、京都は祇園祭が今年も通常通りの開催とはならずでね」というような話で盛り上がったんですが、トークが盛り上がりすぎて尺にはまらず、大幅カットを余儀なくされ、祇園祭のくだりはカットしたはず。しかし中身の濃い特番でした。オリンピックなんかよりも印象深い去年の出来事です。
毎日新聞『余録』も東京オリンピックから1年っていう話でした。いや、読売新聞『編集手帳』も実はオリンピック関連の話題だったんです。国男ちゃんが友人の藤村ちゃんのお願いでさえ見事に突っぱねたのに対して大会組織委員会元理事の高橋ちゃんは、お友達の紳士服会社から4500万円受領してたとかしてないとか?っていう話に持っていっていたわけです。『余録』も同じく、高橋元理事ちゃんの疑惑について書いていました。事実とすれば、こういうのって、いわゆら「賄賂」っていうんですかね。賄賂で私腹を肥やす輩を見るたびに、三国志ファンの私は序盤の序盤、督郵を木の枝に吊るしてぼこぼこにした張飛を思い出します。『余録』によると、1952年から20年にわたりIOCの会長を務めたブランデージちゃんは、オリンピックへの商業主義導入に反対したことで知られています。きっと国男ちゃんみたいな人だったのでしょう。そう堅いこと言うなやーって思ってた人も多かったんでしょうね、きっと。でも、そんな人たちもバッハちゃんには「さすがに君はやりすぎやろ」と思ったかもしれません。ちょうどいいところ、っていうのが目の前に金がぶら下がっているとわからなくなるものなのかもしれないですね。呑み始めたら泥酔するまで呑んでしまう張飛と一緒です。
さて。朝日新聞『天声人語』は昨日、世界の人口減少問題について書いていました。中国の人口は今年から減少に転じ、世界人口の増加率は1950年以降で初めて1%を割り込んだといいます。何が理由でそうなるのかは忘れましたが、ロシアのウクライナ侵攻の理由の一つに「ロシアの人口減少」があるって誰かが何ヶ月か前に書いていて「ふむふむ、なるほど、そういうこともあるのか!」なんて驚いて目から鱗やったはずなんですが、肝心の「なぜ」の部分がごっそり抜け落ちており、さては目から鱗どころか身も骨も内臓も全部こぼれつちまつたんではないかと嘆いております。私ったら、本当に知ってるようで知らないことばかりで困るんですけど、最近読んだ『知ってるつもり 無知の科学』っていう本に「人は知ってるつもりのもののことを意外とちゃんと説明できないものだ」って書いてて私だけではなかったのね!と安心しましたが、そこで安心してしまい、結局ロシアの人口減少とウクライナ侵攻がどう繋がるのかを学び直さないところが私の凡人たる所以でしょう。何か知ってる人、おられましたら情報求む。
産経新聞『産経抄』は今年1月に5人の元首相がEU側に送った東電福島第1原発事故による被害に関する書簡について批判的に書いていました。書簡には「多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ・・」と、原発事故の影響について書かれてあったそうですが、当事者の福島県民健康調査検討委員会は、否定しています。福島県も専門家の見解は被曝との因果関係は「認めていない」。元首相らに科学的知見に基づく客観情報発信を求めました。これ、今年の2月の話ですが、今月、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」のメンバーは日本記者クラブで会見して、改めて「放射線被曝を原因とする健康被害は認められない」と強調したそうです。
こういう話になると、事情をよくわかっていない私のような者は『産経抄』に書いてありましたという事実を書くことしかできません。
日経新聞『春秋』は吉田茂ちゃんの国葬がどんなんやったか書いていました。当日は見送る人波が沿道を埋めた一方で「繁華街などでは鳴るはずの弔鐘が鳴らず、無関心の人もいた」そうです。そらそうやろうと思います。国葬については、賛成の人と反対の人は、いま、歩み寄りようが無い感じですよね。例えば、物価高のため給食の唐揚げを1つ減らすことに賛成か反対かなら、ごねまくる保護者のことも、最終的になんとかして説き伏せられるかもしれませんが、国葬はもはや、イデオロギーとかアイデンティティの問題になってしまっており、賛成の人が反対に回ったり、反対の人が賛成に転じたりということは、無理な気がします。不思議なのは、どうしてこのような世間を二分する重要事が碌に国会で審議されること無しに閣議決定されたのかということでして。国男ちゃんがいたらどう思うでしょうかね。
#令和4年7月23日
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