エッセイ 会いにいこう
一ヶ月に一回から二回くらい東京へ行くようになって、はや一年が過ぎた。職場の先輩に「恥をしのんで聞くんですけど、新幹線の切符ってどうやって取るんですか」などと質問していた頃が懐かしい。
昨日も似たようなことを書いたが、人って慣れるものだと思う。
慣れないといけないこともあれば慣れてはいけないこともある。車の運転なんかは免許を取ってから三ヶ月後くらいがいちばん事故を起こしやすいと聞く。慣れてきて「こんなもんか」と思いはじめた矢先に、ということらしい。
仕事にしろ趣味にしろ、慣れた頃に壁がある。その壁を越えるには、どうしたって研鑽が必要であり、時にはその道の先輩の叱咤がなければならないものだろう。
若い頃から要領よくなんでもやれてしまえたために本来ぶち当たらなければならない壁が存在せず、そのまま年を重ねてしまったが故に人生をなめ続けている人もいるし、若かりし頃の成功体験にあぐらをかいて学びを忘れた人もいる。ずっと、そうならないようにと思い続けているが、十年二十年同じことを考えているのも停滞しているということなのではないか、とも考える。
私が新幹線を利用することになって一年の間に発車チャイムはUAに変わり、車内販売が終了してしまった。
結局、車内販売は一度も利用することなく終わってしまった。こんなことなら多少の値段の高さなど構わずになんでもいいから買っておけばよかった。終わってしまったらもうどうしようもない。私だって、「車内販売のアイスクリーム、固かったよな〜」とか、実感を込めて語ってみたかった。
発車チャイムは「会いにいこう」をはじめて聴いたとき、こんなに気分が変わるのか、と驚いた。いちばん平成が終わったことを感じたのは、あれだったかもしれない。もう令和五年やけど。
それなのに、わずか三ヶ月余り、もうUAにも慣れてしまった。人は慣れるものだ。少しだけ悲しい。
蠱惑暇
こわくいとま