短編小説『宵山は』
七月十六日。午後7時前、大阪がまだ明るいうちに阪急大阪梅田駅から特急で京都へ向かう。なんの用事があるわけでもないのだが、ずっと同じ場所にいると落ち着かない僕は、毎日どこかのタイミングで必ず大阪から出ることにしている。昨日は奈良へ、一昨日は同じ大阪府内だが堺のほうまで繰り出した。
京都線はいつもより人が多い。浴衣や甚平、普段は見かけないお召し物がやたら眩しく見えるのは彼ら彼女らが放つ特別な関係ゆえのオーラのせいだろう。それぞれの性のむんむんとした匂ひと汗の混じった匂ひ(X)。さらにはカップルAとカップルBのXが混じり合う。カップルはAとBに留まらず、この車両だけでおそらくPやQに届くだろう。H以上に淫してK点越え遥かなる匂ひはもはや、どれがどのカップルのものなのか判別がつかない。井戸水と水道水が混ざってしまえば、もう一度井戸水だけ抽出するのは難しいのだ。いま問題になっているトリチウムの海への放出も似たようなものらしい。
性の匂ひの充満した阪急電車が烏丸駅に到着すると、すべての浴衣甚平は降りていった。どうやら今日は祇園祭というお祭りの宵山という特別な夜らしい。僕は終点の京都河原町で降りた。駅のある地下から地上へ出ると、大阪はまだ昼だったのに京都はもう夜だった。こんな時、僕はいつも不思議な気持ちに抱かれる。ひょっとして京都はずっと夜の街なんじゃないか。夜が終わるのを惜しむ恋人たちだから、みんな挙ってこの街にやってきたんじゃないのか。聞くところによると宵山は明日の山鉾巡行という行事の前夜祭のようなものらしいが、さっきの浴衣甚平にとっては、二人の汗がどちらの汗か判別がつかなくなる生々しい夜の前の準備運動のようなものなのではないか。
地球では大昔から、そうやって人が夜を過ごしてきたのだということを噛み締めながら僕が河原町でふらっと入った居酒屋の提灯には「地球屋」と書いてあった。